新生の市政

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 昭和二十二年一月になって渡辺助役の後任に平山滋春が就任、欠員中の市会議長に石塚正二、副議長に浅尾国一が就任した。四月には地方自治法の公布に伴って市会議員の改選が行われた。混乱をつづけた千葉市政も、この改選と地方自治法の公布を契機に新生の第一歩を踏み出した形となった。このときの市会議員当選者は次のとおり(カッコ内は当時の町名)で、定員は三六名であった。

吉岡政吉 (登戸)  黒子久司 (亀岡)  小出正次 (富土見)

高井純  (検見川) 宍倉四郎 (作草部) 内山昇  (要)

長島敏  (矢作)  大沢中  (長洲)  黒子順一 (源)

花沢喜兵衛(星久喜) 鴻崎豊吉 (蘇我)  白井辰次 (稲荷)

高橋勝太郎(黒砂)  和田平武 (院内)  並木三蔵 (稲毛)

山本政次 (黒砂)  本多保  (検見川) 植草春治 (院内)

越川正一 (長洲)  荒木太郎 (神明)  篠崎長次 (新田)

原田賢三 (登戸)  磯野喜久二(松波)  村田栄吉 (登戸)

大森実  (今井)  石塚正二 (千葉寺) 斉藤市蔵 (稲毛)

馬込国三郎(穴川)  大野義男 (稲毛)  海保不二男(加曽利)

山木善之丞(新宿)  小川四郎 (吾妻)  中村三千雄(今井)

内田好房 (亀井)  田巻素光 (今井)  鈴木宣三 (長洲)

 改選後の初市会が五月十四日に開かれ、議長に石塚正二、副議長に長島敏が当選し、委員会は常任委員会制となり、五委員会を設けた。委員会名と委員長は、

 総務(委員長・原田賢三)

 厚生(同  ・和田平武)

 教育(同  ・白井辰次)

 経済(同  ・鴻崎豊吉)

 建設(同  ・磯野喜久二)

となった。