千葉市の農地改革

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 千葉市の農地委員会は地主代表六、自作農代表四、小作農代表一〇の割り振りで昭和二十一年十二月二十三日選挙によって選任された。『千葉新聞』によると昭和二十二年一月二十七日に市役所内で第一回委員会を開き、委員長に小林哲(小作代表)を選んだのち、補助員定数を五六人と決定したあと、今後の農地改革の方針について懇談している。

 このあと『千葉新聞』一月三十日付によると県では「農地改革を推進せよ、連合軍でも重大関心」として「何時連合軍係官の訪問をうけても当局の満足のいくような説明ができるよう農地改革を推進せねばならぬ」と通達を出している。

 千葉市内の農地解放の足跡は、自作・小作戸数の変遷によく現れていて自作農の増加が目立っている(六―二表参照)。

6―2表 農地解放前後の農家戸数
昭和23年昭和24年
自作農848戸1,227戸
自作農
兼小作
359戸1,242戸
小作兼
自作農
454戸344戸
小作農1,784戸556戸

 市内の農家戸数は、昭和二十三年が三、四五〇戸、昭和二十四年が若干ふえて三、四八二戸となっている。そのうち三反歩未満の農家が圧倒的に多く一、〇〇九戸、三反から五反までが四九二戸、五反から一町歩までが七六四戸、一町歩から一町五反までが七一八戸、一町五反から二町歩までが三四二戸、二町歩から二町五反までが九四戸、二町五反から三町歩までが一九戸、三町歩以上はわずか一戸であった。