新憲法公布の昭和二十一年十一月三日、千葉市では午前一〇時五〇分から、市役所会議室で町内会長や市の職員を集めて憲法発布の記念式典を行った。これは東京で当日午前一一時から天皇陛下をお迎えして、憲法発布の記念式典が行われたので、これに歩調を合わせて一〇時五〇分から式典を行ったものである。市の職員組合では、この日、本町小学校講堂で家族招待の運動会を催した。
一方、県庁では県会議員、県下の市町村長、報道関係代表、職員代表を集めて、同じく午前一〇時五〇分から、新憲法公布の記念式典を行った。
また二十二年二月十九日午後二時から千葉新聞社(三十一年廃刊)の主催で「民主々義と新憲法」と題して記念講演が行われた。
講演会は千葉中(現千葉高)講堂に講師として千葉軍政部のジョンソン大尉を迎えて開いたものだが、市内の各層各界から多数出席している。ジョンソン大尉は「新憲法は世界に比類なき精神及び内容を持つ立派な憲法である。」と述べ、更に「新憲法は日本の民主化に不可欠のものである。」と強調するとともに、「新日本再建がこの新憲法を基本として行わるべきものであり、そこから世界に誇るべき平和国家が建設される所以である」と述べた。
翌二十二年五月三日の新憲法施行の日、千葉市では川口為之助初代民選知事をはじめ各界代表、県会議員など二百万県民の代表が参集、憲法普及会主催のもとに新憲法施行記念式典を午前一〇時から県庁で盛大に行った。各市町村でも同じような新憲法施行慶祝式典が晴れやかに行われた。これらはいずれも戦争放棄をはじめとして、新しい民主的憲法の前途を祝福したものであった。
この日を中心にスポーツ行事、文化祭、子供祭など多彩な行事が行われた。
『毎日新聞』の千葉版によると、三日の式典は県庁公園広場で行われた。そのほか、市内男女中学校生徒の祝賀街頭行進も行われた。また県立図書館(旧図書館)では四日まで記念の観光美術展が開催されたし、八日、九日の両日は千葉師範学校(後に千葉大学に統合)で東大教授尾高朝雄、我妻栄の両教授を招いて記念講演会を開いた。
記念のスポーツ行事としては、三、四日の両日祝賀体育大会を挙行したが、バスケットボールは千葉商業、野球は千葉寺の県営グラウンド、庭球は県営グラウンドのコート、卓球は千葉高女(現千葉女子高)でそれぞれ行った。七日から九日にかけて県下中学校(現高校)の房総一周継走大会も催された。これは七日午前九時に県庁前を出発、一班は五井、木更津、館山、勝浦、大網を回って千葉市へ、二班は船橋、松戸、成田、銚子、八街をへて九日午前一一時すぎ県庁前に到着した。
このリレーは、憲法改正の旗をリレーしたものであるが、新聞紙面をみる限りでは、現在でこそ憲法擁護の議論が議会でしばしば展開されているが、当時は食糧不足による生活苦から一般の市民や県民は憲法改正どころではなかった。
深い関心を示しているような新聞記事は少なかった。当時の新聞をみると、新憲法施行前に相ついで行われた国会議員選挙、県会議員、市町村長、市町村会議員選挙などの記事と物価の値下げ運動及び各種の配給物資、供米など主食の不足に伴う取り締まりや悪徳農家摘発などの記事に関心が集中し、憲法問題は新聞報道の片すみに押しやられていた感じが強い。「生活の安定なくしてなにが憲法改正か」といったムードであった。確かに当時すでに米の配給は遅配(千葉市で二日)が続出しており、記念行事にしても大々的な報道はされていなかった。
ただ行政的な面で東京では憲法行事が盛大に行われており、行政中心の行事で一般大衆までこれに共鳴するに至っていなかった。特に新聞、雑誌は用紙不足から少ないページ数のため、十分な報道ができなかったうらみがあった。
しかし、新憲法実施後、最初の法廷は検事席も従来に比べると低くなり、審理に当たっては新ルールにのっとって行ったため、まごつく風景があったと報道されている。民主憲法も当初は、馴れないため、いろいろの珍現象もあったというべきであろう。
新憲法施行後一年たった昭和二十三年五月三日、県庁では千葉軍政部長のカリー中佐をはじめ各界の代表を集めて記念式典を行った。これには川口為之助知事、石橋信、柴田等の両副知事も出席したが、席上カリー中佐は「新憲法施行後、幾多の困難を乗り越えてきたが、輝かしい足跡を残してきた。今後はもっと要求を出し合うことである。」との祝辞を述べた。
新憲法の公布について千葉市議会の動きをみると、『議事録』にはあまり残っていないが、二十一年十一月五日の市議会で円城寺芳蔵議員が次のように発言していることが議事録にのっている。
新憲法発布にあたり陛下自ら御放送されたことは、国民ひとしく感激にたへぬ次第でありますが、要は文化国家の建設であり、これを強力に築くには国民学校(小学校のこと)の生徒からはじめねばならないと思う。近隣町村に比べ本市は戦災等により設備が不充分であるが、すでに戦災後一年の今日未だに野ざらし状態では遺憾である。(後略)