新憲法施行後の変化

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 ところで施行後一周年を経過した新憲法問題について『千葉新聞』では二十三年五月三、四の両日付けの紙面で特集を組んだ。

 それによると、裁判所では、事件の処理がスピードアップされたことを強調、起訴、不起訴を一〇日間できめたとしている。従来に比べ短時日の間に処分が決まったことになる。

 警察では、従来取り調べに当たっては、警察犯処罰令一本槍りで強引に拷問などによって犯行を自白させてきたが、それができなくなって、科学捜査に切りかえ証拠に重点を置くようになった。この科学捜査のため鑑識課を重視し、それによる犯人検挙の事例をあげている。

 また、生活上の相談ごとが急増した。千葉地方裁判所では、裁判所内に「家事審判所」を設けて離婚や相続放棄などの相談に当たった。

 この家事審判所は裁判所と民間の有識者を選んで組織したもので、千葉をはじめ県下七ヵ所におかれた。昭和二十三年三月現在で六九九件の相談を受け付けた。そのうち離婚、相続放棄が一九七件を数え、新憲法の実施によって離婚や相続放棄が急に増加していることが報道された。

 また、『千葉新聞』と尾崎行雄翁とのインタビューで同翁は「新憲法実施から一年を経過したが、実施経過はあまりよくない」と語っている。憲政の神様といわれた同翁の感想がそうであったことは、当時の憲法に対する国内の動を端的きに物語るものであろう。

 一方、マッカーサー元帥は新憲法施行一周年にあたってと題して二十三年五月三日、「東亜に不落の民主国を建設し、新憲法が世界の安定に一つの要素をなすとともに、自由と平和への道につながる」と声明を発表した。

憲法施行1周年記念の新聞報道(『千葉新聞』昭23.5.3)

 憲法改正のエピソードというべきかどうかわからないが、二十二年五月、新憲法の施行と児童福祉法にちなんで千葉市の三歳から六歳の子供たちに憲法キャンデーが一箱(六〇グラム)ずつ配給された。菓子のほとんどない時代のことだけに父兄から喜ばれた。値段は一箱二円二〇~三〇銭と記されていた。

 新憲法の施行によって家族制度は根底から崩壊し、前述のように混乱もあったが、現在ではほぼ定着した感がある。

 昭和二十二年三月二十七日付の『毎日新聞』の調査をみると「家の廃止」については、大人の意見は女性の九〇パーセントが賛成していたのに対し、男性は一〇パーセントぐらいしか賛成していなかった。いうならば、男性は家の廃止には圧倒的に反対であったわけである。学生たちの意見は女子の九〇パーセント、男子の八一パーセントがいずれも廃止に賛成していた。

 これらをみると、いずれも女性の廃止賛成が多いのは、戦時中までの女性の地位の低さのせいであろう。

 しかし、女性が家の廃止に圧倒的に賛成しているものの、翌四月の世論調査では「主婦の九割までが生活面で夫に依存」していたことがわかる。したがって「一夜にして変る夫唱婦随、ほしい女性の自主性」という記事が掲載されたほどである。

 また、天皇陛下の人間宣言によって、二十一年三月十三日付の『毎日新聞』をみると「陛下も月給生活、宮城(皇居)は一般に開放して、従来の半分の面積になる」と書かれていた。また、二十二年四月八日付『毎日新聞』をみると皇族方も選挙権の登録をした。