政界と資格審査

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 昭和二十一年四月マッカーサー司令部の指令による公職追放によって、戦時中主要な地位にあった政・官界、会社など四三九団体が該当に指定されている。ついで同年十一月二十一日と翌二十二年一月四日に公職追放令が拡大され、公職につく場合は公職適格審査委員会で審査が行われた。選挙に出馬する場合、資格審査をうけたのち、適格と判断されてから出馬したものである。もちろん在職中のものでも疑問のある人は、揃って資格審査の対象とされた。

 このため二十二年三月十三日付の『毎日新聞』をみると、知事候補九名、参議院議員候補三〇名、市長候補四二名、計八一名の人が立候補の資格申請をしている。八一名のうちわけは自由党二六、進歩党一六、社会党六、共産党三、諸派一、無所属二九となっている。衆議院議員は同じく三月十五日付『毎日新聞』では六八名(自由党一六、進歩党一四、共産党六、社会党五、諸派一、無所属二六)が資格申請をしている。

 この追放令の拡大によってその対象は市町村長はもとより、市町村会議員、町内会長、農会長など主要団体のほとんどに適用されたので、戦時中と終戦直後の指導者層は一変することになった。

 この追放令によって追放された市町村長は一一二名、県会議員は一七名となった。社会党議員でも保留となった人がいたほどである。