小作農家の経済窮迫、農民運動激化に対応して、地主・小作間の矛盾を緩和し、農村の安定をねらいとした昭和初期に比し、戦時体制の下では食糧増産の必要から、ある程度小作人に有利な政策転換がみられた。
昭和十三年から施行された農地調整法は、自作農創設について地主に圧力を加え、未墾地ならば強制買収を認めた。小作調停についても、従来の申請手続きを省き、小作官が自ら申立てを行いうることとした。小作権を物権化して強化、特に信義に反する行為のないかぎり、地主の一方的意志による契約解除はなしえないこととした。
昭和十四年、価格統制令による小作料の据置き、ついで契約の内容に立入っての適正化が図られ、これらは小作人の地位強化に役だった。
昭和十六年には、農地等管理令が公布され、農地の転用について許可制、譲渡・賃貸も同様となった。知事が認めた場合には、放棄地の耕作強制、特定作物の作付を禁止し、間接的に増産に寄与することをねらった。畦畔茶樹を除く園芸用樹木苗、桑や桐、スイカ、トマト、れんこん、キュウリ、実とらず稲などが、県下一円に禁止もしくは制限された。農地に政府が直接干渉することが正当化され、戦後の農地改革につながる原型が形成されつつあった。