農地改革

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 農村には地主勢力が強固で、小作地の取上げ、あるいは小作料の引上げ、物納要求などの手段で農村支配が行われていた。大多数の農民は警察権力による弾圧におびえ、苛酷な供出制と乏しい配給肥料という悪条件下に、農業生産を確保してきた。敗戦の年十二月九日、占領軍総司令部より出された農民解放指令は、やり場のない不満に、独り胸を痛めていた勤労農民にとって、旱天に慈雨というべきであろうか。

 農地改革は、単に地主的土地所有の変革をのみ意味するものでなく、農業生産の主体たるべき農民の、意識改革をもたらせ、農業発展の基盤を据えたという点に意義がある。

 政府で準備した第一次改革案は承認されず、昭和二十一年五月、対日理事会でイギリス案を骨子とする勧告がつくられ、それを基に同年十月、第二次改革案が承認、実施された。不在地主の小作地全部と、一町歩以上の在村地主の所有する小作地及び自小作地合わせて三町歩を越える小作地分を、国家の手によって買収し、これを自作農創設を目的として売り渡した。この結果、狭い耕地と低い生産力しか持たぬ、そして互いに対立競合する自作農を創ることとなった。生産力と生活水準の向上には、土地の交換分合による経営合理化や、土地改良、技術普及が行われなければならず、農業協同組合、農業改良普及事業の発足をみた。地主は経済基盤を失ったとしても、山林をもつほか、事業などの面で依然優位を保っていた上、教育・識見に優れていたから、勢力交替(いわゆる農村民主化)は必ずしも順調に行われたとはいえない。農地改革の成果維持を目的とし、権利移動の統制、所有制限、小作料を規定した農地法は、昭和二十七年に制定された。

 『千葉県農地制度史(下)』により六―一二表をえた。統計再録のため行政区域などの不備はあるが、当市域の概況を理解するのに役だつと考える。在村地主は農家戸数の約三割弱で、小作地の八五パーセントを占めていた。市域外に住む不在地主は、五千戸を上回るが、大部分は小土地所有者で、一町歩以上もつものは八パーセントにすぎなかった。大地主の少ないのは県下全域にわたる特色とされている。

6―12表 農地改革前後の農業状況
(1)経営耕地面積広狭別農家戸数 昭和27年2月1日現在(1戸当たり平均8反05)
農家戸数経営耕地面積(町歩)1反歩未満1~3反歩3~5反歩5~1町歩1~1.5町歩1.5~2町歩2~3町歩
千葉市4,1742,79864888051192783630072
生浜66344414117171234833410
椎名37333153945148105283
誉田88774461291352862407318
白井7047061057691892728720
更科6847614375317126412331
犢橋794786449563352179241
幕張86166663173922491779413
土気8258142412710718318713856
9,9658,0507781,6081,2392,7222,381969264
全農家戸数に対する比率7.816.112.427.323.99.22.7%

(『千葉県農地制度史(下)』)

(2)農地改革前の小作地面積
総面積小作地面積小作地比率改革後に残存する小作地面積総面積に対する比率
(町歩)(町歩)(%)(町歩)(%)
千葉郡内の田3,959.32,240.757498.71.3
千葉郡内の畑7,932.54,316.455926.31.2

(『千葉県農地制度史(下)』)

(3)千葉郡における農地改革前の不在地主(上段は戸数,下段面積)
0.5町歩未満0.5~1町歩1~5町歩5~10町歩10町歩以上
県内1,43053231116112,300戸
238.1365.9528.6115.3113.41,361.3町歩
県外2,67522368573,008戸
314.3604.8154.531.9227.71,333.2町歩

(『千葉県農地制度史(下)』)

(4)在村地主の貸付面積(千葉郡)
1町歩未満1~3町歩3~5町歩5~10町歩10町歩以上
戸数1,5851,096254130493,114
面積
(町歩)
807.81,784.31,435.8674.0878.05,579.9

(『千葉県農地制度史(下)』)

(5)改革後の残存貸付農家数
3反歩未満3~6反歩6~10反歩1町歩以上
千葉郡内
(戸)
9387851,0742,797戸

(『千葉県農地制度史(下)』)

 改革により小作地の八割が解放され自作農の創設がみられたが、『昭和二十七年統計書』にみるよう、三反歩前後の零細規模農家がきわめて多かった。戦争末期の食料窮迫から、自給のための飯米農家、不耕作地主の手作り、帰農者、復員者の増加により一層強められたものと思われる。

 買上げ、売渡し価格は、昭和二十年十一月を基準に、米価と生産費から計算し、国債に準ずる利子率で資本環元してえたもので、全国平均で水田は七六〇円、畑は四五〇円とされた。

 国道一六号線に沿う穴川付近で、水田五町歩を含め、農地三〇町歩の買収を受けた園生町の某氏を訪ねると、「坪一円五十銭程度であった。過去のことを今さら……」と口をつぐんで語りたがらなかった。