復興期の商業の特色

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 昭和二十六年の千葉市の商店数は二、四〇三店、このうち、卸売業は二〇七店、従業員数は一、〇四四人、年間売上高は三四億九三九六万円であった。全商店の年間売上高は七五億八五四四万円であったから、卸売商の年間売上高は全体の四六パーセントであった。このことは千葉市の卸売商の勢力が弱く、東京の卸売商の勢力圏にあったからである。戦前の千葉市の卸売商は明治末から中継商業が衰えて小売商人の町となったが、戦後の復興した商業もやはり同じであった。今日の千葉市商業は卸売商業が強大であるが、小売商業より卸売商業の売上高が多くなるのは昭和三十年以後である。千葉市の商業は復興期と高度経済成長期とでは商業の性格が大きく変化するのである。しかしそれでも千葉市の商業は県下最大となり、店数や売場面積(一万四七一七坪)、従業員数(六、五一八人)、年間売上高などの点で県下の他の都市をはるかにぬいていた。

 復興期の商店の中には、戦前に開店し、戦時中の企業整備によって強制的に閉店させられたが、再び営業をはじめた商店がどれほどあったのか、あるいは復興期の商店の経営者は出身地がどこか、商業にはいる前の職業はなんであったか、戦後の商店街復興の形成機構はいかなるものであったかなどをみよう。昭和二十六年の商店数は二、四〇三店であったが、調査票に対する回答をよせた商店数が異なるので、それぞれの問題ごとに商店数が異なっている。

 調査した商店は一、七二四店であったが、これらのうちいつ開業したかに回答した商店は一、四三一店であった。このうち六〇パーセント(八六四店)が戦後に開業したもので、残りの四〇パーセント(五六七店)が戦前に関業したことがある商店であった。昭和十六年の商店は二、三六七店であったから、戦後にこのうちの二三パーセントが再び開業した。戦前の商店の七七パーセントは廃業したままであった。昭和十七年の「小売業整備要綱」と戦災が商業と商店に与えた打撃は大きかった。復興した商店の六〇パーセントが戦後に新しく開業したものであり、中心商店街ほど新しい開店が多かった。戦前と戦後では中心商店街は大きくいれ変わったといってもよいだろう。世界恐慌や満洲事変から開業した商店は、昭和十五年には一、一〇四店もあった。この商店は昭和二十六年には一七パーセント(一九四店)が再開店をした。大正十年から昭和五年までの不況時期に開店した商店は、昭和十五年に六二五店もあった。このうち昭和二十六年までに再開店したものは二五パーセント(一五六店)であった。大正元年から大正九年に開業した商店は、昭和十五年に三〇五店があり、昭和二十六年までに再開店した数は二五パーセント(七六店)、明治二十五年から四十四年までの日清・日露の戦争中とその戦後に開店した数は、昭和十五年に三七〇店もあり、このうち昭和二十六年までに再開店した数は二〇パーセント(七六店)であった。明治六年から二十四年までに開店した店は、昭和十五年に三七〇店、このうち昭和二十六年に再開店した数は一七パーセント(六五店)、明治五年以前の店は昭和十五年に一五六店、このうち昭和二十六年に再開店した数は六五店四一パーセントであった。これをもってみれば、開業年数すなわち店齢が短いほど戦前の商店は戦後に再開店する割合が低かった。これは戦時中の「小売業整備要綱」による整理の対象は営業年数の短い商店に集中したからであった。また、営業年数が短かったから、経営地盤が固まらず、整理や戦災をうけると再起することがむずかしかったのである。戦争がこのように商業に打撃を与えたこともあるが、商店が老舗となって継続することにはまことに大きな努力が払われるものである。老舗とは激しい競争に打ち勝って生きのこった商店であり、営業地盤がいかに強固なものであるかを察することができる。

 千葉市に商店を開業した経営者について出身地と出身職業を調査した結果は次のとおりであった。調査数は一、七二四店であったが、出身地の回答数は一、六九九店であり、出身職業の回答数は一、五三八店であった。出身地の回答率は九八パーセントであり、出身職業の回答率は八九パーセントであった。後者は商業出身者が「商店を開業する前の職業はなにか」の質問に回答しなかった人が多かった。

 千葉市の商店経営者の出身地の資料は、千葉市の流入人口の一部の出身地を示す資料でもある。千葉市の小売商に将来性があるから、各地から商人が集ってくる魅力を示す資料にもなる。全商店経営者の六〇パーセント(一、〇一一店)が千葉市出身であった。また県内の各地を出身地とする商店経営者は一八パーセント(三一〇店)あった。東京都出身の経営者は一五パーセント(二六四店)、関東各地の出身者は二パーセント(四四店)、その他が二パーセント、引揚者が二パーセントなどであった。当時の商店経営者は千葉市出身者が六〇パーセントを占めていたから、地元性が強かったといえうる。今日のように東京資本の商店や東京の有名店の進出があまりなかった。

 これらの小売商店の経営者は商店開業以前にはいかなる職業についていたか、商店経営者の前職はなにか、この問題は一つにはいかなる職業から小売商に流入してくるか、小売商を中心として小規模産業の経営者は産業間の移動をいかに行っているかを示している。また二つは小売商の開業資本はどこから供給されるか、いかなる職業において資金が蓄積されて、それが小売商に投資されているのかを示すものである。この調査によれば、もっとも多い前職は商業で三二パーセント(四九二店)である。小売店は、父の経営している商店を相続した者、支店として分れた者、他の町村から移住してきた商人などがもっとも多かった。これについでサラリーマンを前職とする者の二四パーセント(三八三店)が多く、無職を前職とする者は九パーセント(一四七店)であり、これも退職したサラリーマンであった。このサラリーマンとは主に会社員であった。工業を前職とする者は一四パーセント(二一七店)、農業を前職とする者は一一パーセント(一七五店)であり、農業や中小工場の経営者から商店経営者に移動する人もかなりの数を占めていた。そのほかに軍人、引揚者などがあった。

6―19表 昭和26年当時の千葉市の商業
(1)商店の営業年数
昭和20年~昭和25年昭和17年~昭和19年昭和6年~昭和16年大正10年~昭和5年明治45年~大正9年明治25年~明治44年明治6年~明治24年明治5年以前
昭和26年商店調査934店0194店156店76店76店65店65店
昭和15年商店調査1,104 625 305 370 370 156 
残存率17%25%25%20%17%41%
(2)商店経営者の出身地(昭和26年)
出身地千葉市千葉県内東京都関東地方その他引揚
店数1,011店310店264店44店39店31店1,699店
割合
(%)
59.518.215.52.52.22.1100.0
(3)商店経営者の前職(昭和26年)
前職商業工業農業サラリーマン水産業無職軍人引揚その他
店数492店217店175店383店46店147店31店20店27店1,538店
割合
(%)
31.914.111.324.92.99.52.01.51.9100.0