川崎製鉄と東京電力の進出による効果

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 大企業がなかった千葉市に大製鉄所と新鋭火力発電所が進出したことは各方面に大きな影響があった。かつての消費都市の千葉市から生産都市の千葉市になった、農業県の千葉県から工業県の千葉県になったといわれた。これは誇張ではあったが、少なくともその先駆であったことは否定できない。特に二大企業の進出は県・市の財政に大きく役だった。固定資産税と事業税などは免税期間後には年々六~七億円と算出され、昭和二十八年ころの県税収入が一五億八千万円、市税収入が三億八千万円であったから、税収は財政面に大きな比重を占めていた。労働市場は拡大し、都市人口が激増した。火力発電所の従業員は第四期工事の完成後も数百人であって、その雇用効果も人口増の効果も小さいが、製鉄所は大きかった。その従業員は完成後は一万数千名となり、家族数を加えると五万人近くの増加となった。都市人口の増加は商業を発達させ、耕地、平地林を宅地に転用させた。しかし製鉄工業を基礎として加工工業が集積するという予想はうらぎられた。また雇用効果は製鉄業であるために男性労働力の雇用だけで女性労働市場は工業においては拡大しなかった。更に当時は公害の観念が乏しく、県・市においても公害対策は確立せず、大企業も公害防止の社会的責任感が希薄であった。そのために、千葉市の生活環境は汚染が進み、公害病患者も多数発生し、公害病による死亡者もでてきた。