千葉県では、昭和二十六年十月、総務部内に企画室を設け、更に十一月には、「総合開発審議会」を設置し、地域開発の促進に積極的な姿勢を示すことになった。
昭和二十七年三月、工業化政策の一環として、「千葉県産業経済振興計画」が樹立され、浦安から富津を結ぶ京葉臨海工業地帯を造成するという計画のもとに、開発行政に本格的に取り組むことになった。この計画で、千葉市に関係ある主なことがらは、
一 千葉市地先海岸の埋立。
二 千葉――東京線(道路)の新設。
三 千葉港の改修。
四 印旛沼疎水路から用水を引水。
五 一五万ボルト送電線の敷設。
の五点であった。
同年四月、県議会内に企業誘致対策特別委員会が設けられ、同委員会は、千葉県の産業構造を根本的に変え、高度の近代企業を誘致することにより、県の財政を豊かにし、県民生活の向上を図ることを目的とする「企業誘致条例」の制定を知事に勧告し、これに基づいて、同年六月、「千葉県企業誘致条例」が制定された。
千葉市も、県にならって、「千葉市企業誘致条例」を同年九月十八日に制定し、適用は、二十六年二月一日からとした。当市の指定基準は、県の場合よりややゆるやかで、投下固定資産総額三千万円以上、常時使用従業員一五〇人以上であった。
二十七年の千葉県の工場総数は、六、五〇七工場で、うち、従業員四人以上の工場は、二、六五七で、全体の四一パーセントであった。従業員四人以上の工場のうち、食品関係が工場数で四七パーセント、生産額では六四パーセントを占め、千葉県工業の中心であった。一方、機械器具製造や化学は、両部門合計しても、工場数でも、生産額でも一二パーセントにすぎなかった。従業員二百人以上の工場は、食品工場六、紡織関係三、機械器具製造三、金属製品加工二、第一次金属製造一、電気機械器具一の合計一六工場にすぎなかった。
同二十七年の千葉市域の工場数は、千葉市(旧市域)三八〇、幕張町三四、土気町一一などを主として、総計四五二工場であった。従業員数は、旧市域五、六一六名、幕張町が五一九名、土気町八〇名など、総計六、三四九名であった。出荷額は、旧市域が四三億六千万円、幕張町が二億九千万円などで総計四八億八千万円であった。
全県比でみると、工場数で七パーセント、従業員数で一一パーセント、出荷額では一〇パーセントであった。
市域の四五二工場中、従業員四人以上の工場は、一七七工場(四七パーセント)であった。食品関係八四工場で第一位、その他、木材家具二四、機械器具製造二四、印刷一三、紡織一三が主な工場であった。
同二十六年現在、県下で四人以上の従業員をもつ澱粉工場は三二一であったが、千葉市域には、五〇工場分布した。水飴工場は、四九あり、千葉市域には、三工場みられた。千葉市域の澱粉製造の衰退がはっきりとよみとれる。全県的にみて、千葉市域が生産の中心であったのは、衣類製造・製紙・印刷で、特に印刷は重要であった。