2 各工場の発展と移転

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 昭和二十五年前後に、千葉市域に立地した主な企業は、

 専売公社千葉原料工場(小中台)――二十四年、日本バルブ株式会社の土地・建物の一部を買収し、葉タバコ再乾燥工場として発足。四十一年から原料工場になり、四十三年二月、第三期工事が完了して、全工場施設が完成した。現在、最新の設備と最大の規模の工場として知られ、全国葉タバコ生産の一〇パーセントを産出する。また、原料加工部門の研修工場でもある。現在、原料は関東・東北などの諸県から鉄道便で搬入される。京葉工業地帯の発展で、貨車繰りが容易でなくなった。

 川島パン(稲毛)――大正五年稲毛で創業。昭和二十八年六月、近代的工場を建設した。原料は主として東京・横浜から入手し、製品は千葉・東京・茨城地方に出荷される。昭和四十二年、犢橋地区に高級和菓子製造工場を新設した。

 千葉製袋(新田町)――昭和二十五年設立。当初は、澱粉づめ用袋を製造した。市内工業の発展につれ、クラフト紙袋などの各種袋類の需要が増大した。千葉地区は、区画整理となるので、市原市潤井戸に移転予定である。

 増田家具(桜木町)――昭和二十七年末広町に近代的家具製造工場を建設した。しかし同三十九年桜木町に工場を移転させた。原木は木場から、製品は関東一円と東海地方に出荷する。この地区は昭和四十五年、騒音規制地域に指定され、周辺の住宅地化も進んでいるので、再び、移転が必要になる可能性もある。なお、この桜木町には、同社が中心となって家具製造団地を計画し、院内町にあった小川工作所も四十年六月工場を移転させたが、結局団結できず、二工場の移転に終わってしまった。

 家具・木工関係は小企業が多く、資本力が弱く、移転希望はあってもそれができず、市で機械類を三年年賦で貸与してくれるが、それを十分に使いこなせるものは少ない。新規労働力の補充も大変むづかしい。

 堀切バネ製作所(幕張)――昭和十年堀切で創業。同二十八年幕張に工場移転。日野自動車系列となり、自動車用バネの製造を行う。本社も当地に移した。わが国五大バネメーカーの一つである。目下、移転適地を物色中である。

 佐藤製作所(穴川)――昭和二十四年より、検糸用拡大鏡の製造を行なっている。従業員二〇名程の小企業ではあるが、同種の製造所は、全国的にも少なく、重要である。この地区は、婦女子労働力を集めやすい利点がある。三十五年、園生町に新工場を建設、分離独立して、社名を京葉光器とした。各種拡大鏡を製造する。

 都一製麺(葛城町)――昭和二十九年に工場建設、中華そば製造を行っている。昭和三十八年、若松町に工場を新設し、生産拡大を図っている。