さて、昭和二十八年六月、第一溶鉱炉に火入れを行なった川鉄では、その後三十三年三月、二号高炉、四月第一ホットストリップミル、六月第一コールドストリップミルが稼動を開始し、千葉製鉄所における銑鋼一貫生産体制を確立した。
同製鉄所の特色は、戦後の第一号として最新鋭設備を整えたことはもちろんのこと、工場配置でも近代的要素をとり入れ、高度の経済的効果を発揮できるようにくふうされていたことである。すなわち、単純・収約・連続・一貫化の四大原則に基づいて、工場内の鉄道・道路・原材料の移動施設・ガス管などは全系統にわたって短縮され、すべての物を動かす費用を節約するという基本線がつらぬかれた。それによって、従来年産一トンの生産に二坪といわれたのを、一坪と高能率の工場となったのである。港湾施設も一層の整備がされ、正面岸壁(鉱石・石炭の原料荷役用で、船席数一万トン級三隻)と、蘇我スクラップ岸壁が完成した。
川鉄が一貫体制を確立した昭和三十三年の千葉市域の工業を、県工業課刊の『千葉県工場名鑑』によりみると次のようであった。