5 千葉市の工業分布

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 従業員一〇人以上の工場は、総数一七〇工場で、昭和二十四年にくらべ、約三倍に増加した。内容は一位が食品関係の六四工場で、全体の三八パーセントを占めた。食品関係では澱粉一八工場、パン・菓子製造一〇工場が主体であった。二位は機械器具製造二五工場、三位は木材木製品一八工場、四位は印刷一六工場、五位は金属加工一三工場であった。

 従業員三〇人以上の工場は四六工場で、二十四年に比べて二倍となった。従業員二百人以上の工場は、川鉄の六、七二〇名、千葉火力三四九名、川口パン二六三名、丸山製作所二七〇名、千葉漁網二二五名の五工場であった(六―二〇表参照)。

6―20表 昭和33年千葉市域における従業員30人以上の工場数
工場数内容
食品13食パン3 製粉3 水あめ2
繊維衣服2漁網 靴下
木材・家具2
パルプ・紙2製紙
出版・印刷1地図
化学2
石油・石炭1練炭
窯業土石2
鉄鋼・非鉄金属2
金属製品5
一般機械6
電気器具2
輸送機械1木造船
精密機械2度量衡
その他3際物 ガス 火力発電
総計46

(『千葉県工場名鑑』より作成)

 一七〇工場の分布地域は、以下のとおりである。

 稲毛――一七工場(うち三〇人以上の工場八)食品関係五、機械器具製造五で、丸山製作所・川島パン・井上パン・山田製粉など、比較的規模の大きい工場の分布に特色があった。

 幕張――一四工場(同七)日本ラテックス・京葉ハム・堀切バネ・興亜不燃板など各種の中堅工場の立地に特色があった。

 神明――八(同三)品川練炭と千葉製紙があった。

 今井――七(同二)千葉漁網・藪塚建材と、佃煮製造に特色があった。

 道場南――七工場。小規模な落花生加工・水産加工・黒板工場が分布していた。

 川崎――六工場(同三)川鉄の他、川口パン・千葉製粉という、鉄と食品の同居に特色があった。

 新田――六工場。小工場が分布していた。

 蘇我――六工場(同二)千葉火力と小泉製紙。

 新宿――五工場(同二)参松工業・向後鉄工・雪江ハムが主な企業。

 長洲――八工場(同一)印刷工場の分布に特色があった。

 登戸――五工場(同二)焼蛤の大阪屋がある。

 本町――五工場(同一)際物の伊勢源がある。

 以上のほか、従業員一〇人以上の工場が比較的多く分布したのは、吾妻・検見川・犢橋・寒川・新町の各町であった。誉田地区には、一工場、土気地区には水あめ工場四〇名と、印画紙工場二二名の二工場があった。

 従業員三〇人以上の工場について二十四年と比較してみると、二十四年当時は、木材・鉄鋼・化学関係の工場はなかったが、この年には衣服以外の全部門でみられる。また、分布地域が二二町にひろがり、約二倍になった(六―二一表参照)。

6―21表 昭和33年千葉市域における従業員30人以上の工場分布地域
工場数内容
幕張7バネ1 セメント製品1
稲毛8食パン2 機械2
小深1精密機械
穴川2機械1 金属加工1
作草部2機械1 食品1
登戸2食品1 電気器1
1落花生加工
1度量衡
新宿2食品1 機械1
吾妻1家具
1際物
神明3製紙1 機械1
長洲1家具
1ガス
葛城1食品
末広1靴下
寒川2鉄工1 機械1
川崎3製粉1 食パン1 製鉄1
今井2漁網1 コンクリート1
蘇我2火力1 製紙1
塩田1鉄鋼1
土気1水あめ
22町46

(『千葉県工場名鑑』より作成)

 澱粉工場は一八あったが、その分布をみると犢橋に四工場、幕張三工場、加曾利に二工場が主な分布地域で、稲荷町には、わずか一工場であった。澱粉製造の中心地域が、犢橋・幕張・加曾利・若松・中野・園生など、市の周辺部に移動したことがうかがえる。

 昭和二十四~三十三年にかけての、千葉市域での工場分布の特色は、神明・蘇我町以外では、二十四年当時の分布地域がその地域内部での工業部門の交代や、規模の拡大を中心として変化したもので、新しい工業地域の形成や拡大はほとんどみられなかったことである。