食品コンビナート

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 千葉港は増大する公共貨物に比べ、公共施設・繋船施設等各種施設整備が遅れていた。そこで、港湾施設の整備拡張を第一とし、合わせて東京湾全体の港湾整備の一翼を担うことを目的として、商港埠頭を中心に造成する埋立を計画した。この埋立は早くからの懸案であったが、漁業補償交渉が難航して実現できずにいた。それが昭和三十八年十月補償交渉が解決して、三十九年八月工事を着工し、四十三年末完工した。工業用地は三百ヘクタールである。この埋立費用は予納金方式をとらず、三井不動産のほか三菱地所、住友不動産の参加を得て調達した。

 この地区の工業は、

(一) 三六万人の人口をもつ千葉市街地前面であり、また背後に住宅計画があり、すでに南側に川鉄・東電が操業している関係上、公害発生の危険のある企業は一切排除する。

(二) 土地が細分化され、道路用地が増大し、用地の売却単価が高く、この高地価用地を効率的に利用しうる業種であること。


などの理由から食品関係企業を主とすることになった。

 食品工業は企業基盤が弱く、国際競争力がなく、また貿易の自由化を控えて、農林省の指導のもとに外国企業に対抗できる体制を組むため、各企業が有機的に結合し、設備の近代化、生産工程の合理化、輸送コストの大幅軽減による良質安価な製品の製造を目的として、コンビナート形式が採用された。すなわち、この食品コンビナートは、サイロを中心に製粉・製パン・製油・飼料などの関連工場が一体となって、原料輸入から製品化まで一貫して行おうとするものである。食品関係の中心は千葉共同サイロ、飼料の中心は日本サイロですでに操業中である。

 ほかの関連企業も操業しつつあるが、有力企業の立地が遅れ、また鉄道も建設中であるので、まだコンビナートの実をじゅうぶんには発揮していない。

食品コンビナート

 操業中の主な企業は、次のようである。

 千葉共同サイロ――食品製造関係企業の中心的役割りを果たすのがこの共同サイロで、住友商事・日清製粉・千葉製粉の三社の出資を主として、四十二年四月設立された。第一期工事として収容能力三万七千トンのコンクリートサイロ、五万トン級船舶接岸のドルフィン桟橋、一時間六百トンの吸揚装置を完成させ、操業を開始したのは昭和四十三年十一月である。新大陸地域から専用船・不定期貨物船で来た散(ばら)積みの穀物類は、専用埠頭に接岸すると真空式穀類吸揚機二基で自動的にサイロ内に貯蔵される。船からの荷揚げ指示から出荷事務処理までの各種業務は、集中的かつ総合的に電子制御装置で操作管理されるから省力化され、従業員は二〇名たらずである。穀物の搬出法は、コンビナート内の製粉工場や飼料工場へは、直接日々の使用量に応じてコンベアーで自動的に出荷し、関東・東北地方へは貨車・トラック・船等で出荷する。コンビナート内での主要出荷先は、千葉製粉組合飼料、サミット製油である。

 日本サイロ――飼料の貯蔵・輸送を目的として、大洋漁業・大洋飼料・丸紅飯田・日本埠頭倉庫・三井物産の出資によって昭和四十二年設立された。第一期工事四十三年五月、第二期工事四十四年十月に完成し、収容能力四万トンの集合型鋼板製サイロと五万五千トン級穀物専用船が接岸可能の桟橋を設けた。本船よりの吸揚設備能力は一時間当たり四百トンである。搬出は隣接の大洋飼料・丸紅飼料にはコンベアーで直結し、他は艀・トラックなどが利用される。共同サイロ同様各種作業は自動化されている。四十六年十一月第三期工事が完成、合計七万トン収容のサイロを備えている。これは世界最大の飼料用サイロであり、年間扱量は国内供給量の一〇パーセント近くに達する。

 千葉製粉――南方埋立地(川崎町)から昭和四十一年九月工場を移転し、四十二年十一月に新製粉工場が完成した。原料の小麦は共同サイロからコンベアーで、また艀で自社サイロにも運搬される。小麦粉は隣接の山崎製パンに約二〇パーセントをトラック散積みで、ほかは袋詰でトラック・貨車を利用して各地に出荷し、ふすまは千葉組合飼料に送られる。県内の製粉工業の状態をみると、昭和三十六年四月、一位は千葉製粉、二位は昭和産業船橋工場、三位は山田製粉であり、上位二工場が当市内に立地した。三十九年、山田製粉は昭和産業に買収されて昭和産業稲毛分工場となり、製造内容も変わり、全購連・全酪連などの委託を受け大麦の加工を行っている。現在の製粉業は一位昭和産業船橋工場で、県内の約四二パーセント、二位が千葉製粉で三七パーセント、この二社で県内の約八〇パーセントの生産を行っている。

 山崎パン千葉工場――昭和三十八年に川崎町の川口パン(株)を買収し、千葉工場とした。四十三年一月に食品コンビナートに工場を移転して今日に至る。当工場の主製品は、食パン・洋菓子・ビスケット・和菓子で月産約五億円である。主原料の小麦粉は、日清製粉と千葉製粉から入手するが、まだ当地には日清製粉の工場が建設されていないので、コンビナートの性格は、じゅうぶんには発揮されていない。製品は専用トラックで県内・東京都・茨城県を中心に出荷される。

 古谷乳業――昭和二十年成東町で創業した。発展する千葉市を中心とする県内の市場開発のため四十二年四月、千葉工場を完成し、本社も当地に移して今日に至る。原料乳は主に海匝・山武地方より入手し、出荷先は、千葉市域をはじめ県内を主としている。

 参松工業――新宿町から移転し、昭和四十四年七月より操業を開始した。澱粉を原料とする糖類を製造し、明治・森永・グリコなどの製菓会社を中心に出荷する。

 サミット製油――住友商事の直系会社で、昭和四十三年一月設立され、翌年一月より綿実を原料としてサラダ油の製造を行っている。原料の綿実は千葉共同サイロ経由で供給される。製品のサラダ油は住友商事の手で市場に出される。綿実より製油する工場では全国第三位の実績を誇っている。

 東洋製油――味の素(株)の油脂部門を強化するため、同社の全額出資によって昭和四十三年二月設立され、四十四年十月から大豆油を製造している。原料大豆は、当工場のサイロに陸上げされる。製品の大豆油は味の素横浜工場に送られ、ここで精製、包装し市場に出される。脱脂大豆は、トラック・貨車を利用して、飼料会社・農協に出荷される。

 大洋飼料――大洋漁業系列の一つとして、昭和四十二年四月設立され、工場は四十三年六月操業を開始した。原料は、日本サイロからコンベアーで直送される。自動化された合理化工場である。

 菱和飼料――本社は名古屋市。昭和四十三年六月に操業開始。千葉・茨城の市場を目的として進出した。原料は横浜港経由で入手する。

 白鳥製薬――津田沼で大正五年創業、カフェイン・イノシトールなどの薬品の製造を行う。この製造ではわが国二大メーカーの一つである。

 東日本製糖――大日本製糖と明治製糖の共同出資で、昭和四十六年一月設立された。両社製品の委託加工を目的とする製糖工場を建設した。四十七年に営業を開始した。

 この地区に進出予定の食品・飼料関係の企業が一体となって、千葉食品コンビナート協議会を結成し、企業間の連絡・調整、工場地域の整備充実、見学会の斡旋などを行っている。

 この地域が、食品コンビナートを形成しているとはいえ、企業が相互に結合し、関連しあっているのは数が少なく、むしろ独自に原料を入手し、製造・出荷している企業が多く、実質的には食品関係工場団地である。