2 産業基盤の造成

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 産業基盤といえば用地、用水、道路、港湾などである。巨大企業が農漁業に利用していた土地と海面を大工場が立地できるようにつくり変えなければならない。

 京葉臨海工業地帯の土地造成は飛躍的に大きくなった。昭和二十六年の千葉県総合開発審議会の土地造成計画は、船橋付近から千葉をへて養老川々口までの地先海面に約一千万坪の造成であったが、当時は一種の夢物語と思われた。しかし昭和三十年からの神武景気によって千葉市の出洲地区、市原市の五井・姉ケ崎地区、船橋・市川地区などの地先海面に企業が進出する計画がでた。これに対して、昭和三十三年に「東京湾沿岸総合埋立計画」の構想がつくられて、葛南地区に一、七六〇万坪、千葉地区に八一三万坪、合計二、五七三万坪の造成計画となった。更に昭和三十五年に国の所得倍増計画による工場用地八千万坪の新規需要のうち、かなりの部分を千葉県がうけもつこととした。この土地造成計画は三千万坪とし、昭和四十二年までに一千五百万坪、同五十年までに一千五百万坪としている。昭和三十六年に「京葉臨海工業地帯造成計画」が打ちだされ、従来の造成計画を統一し、新たな展望をもつようになった。この計画は造成面積を一万ヘクタール(既設をふくめると一万一三一四ヘクタール)であり、造成の大規模化となった。これは昭和四十二年に五千五百ヘクタール、更に昭和五十年に四千五百ヘクタールの造成計画である。このころ、民間企業の造成計画もにぎやかであった。国土総合開発株式会社の木更津埋立計画や京葉土地開発株式会社の市川・稲毛埋立計画があった。県計画は更に大規模化し、第三次五カ年計画(昭和四十五~四十九年まで)を昭和四十五年に策定したとき、土地造成は一万五一七八ヘクタールとなった。しかし埋立反対の声が高くなったので、昭和四十八年に策定した第四次五カ年計画(四八―五二年)には計画面積を小さくして、一万三三七三ヘクタールとなった。これは木更津沖のうち、北部の埋立計画は、東京湾の全国的位置づけが明らかになるまで中止することになった。

 この土地造成事業は昭和三十九年に三四・四パーセントに達した。このうち葛南地区は二七・三パーセント、千葉地区は六八・六パーセント、木更津地区は五・一パーセントであった。進出会社も葛南地区に一四八社、千葉地区に一〇五社、木更津地区はいまだなく、合計二五三社が臨海工業地帯に進出した。昭和四十七年には埋立地は八、八二九ヘクタールとなり、計画面積の一万三三七三ヘクタールの六六パーセントに達した。葛南地区は五六パーセント、千葉地区は八三パーセント、君津地区は五三パーセントとなった。今後の埋立事業の主力は葛南・木更津地区にむけられ、昭和五十二年まで計画面積の九五パーセントを完了する計画となっている。

6―23表 京葉臨海地域土地利用計画表
(単位:ha)
地区名地先計画面積土地利用計画備考
工業流通業務住宅港湾道路鉄道公園緑地その他
葛南浦安1期浦安町86767475881318737
浦安2期浦安町5601561983784976
市川1期市川市19458531922813813市川市委託
市川2期市川市434358310365145381西地区
京葉港1期市川市・船橋市1372056252556中央A地区
船橋市・習志野市717283147545133213440東地区
京葉港2期市川市・船橋市3451801781134014中央B地区
(旧)市川市川市88741211千鳥町・加藤新田・高浜町
市川市1601381228高谷新町・二俣新町
(旧)船橋船橋市182162488日の出町・栄町・西浦町
船橋市393171浜町
船橋市592220656若松町
(旧)習志野習志野市10959123917津田沼
習志野市594847谷津町
小計3,9507707959765756674397315
千葉千葉西部幕張千葉市2146951143328145C地区
幕張千葉市50067121116514447A・B地区
ニュータウン
検見川千葉市341301208633171
稲毛千葉市428102565356242
(旧)幕張千葉市675017
(旧)稲毛千葉市79173910103
千葉港中央千葉市23149寒川
千葉市61030245753272203133
千葉南部千葉市721704116川崎町(旧)306 川鉄用地含む(1期171 2期242)
千葉市3072851417生浜町(旧)39 東電用地含む(1期241 2期26)
五井市原市原市61574八幡浦
市原市653622122611五井市原
五井姉崎市原市1,4641,306260181563
小計5,4683,3452846253550786308278
君津北袖ケ浦袖ケ浦町410345101019620
南袖ケ浦袖ケ浦町874683131267124938長浦588 奈良輪286(1期212 2期74)
木更津南部木更津市464331493651033
君津君津市882837416421新日鉄(1期663 2期197)
富津富津市1,3251,0561153752146
小計3,9553,252278219134131238
合計13,3737,3671,1061,6011741,264194836831

(千葉県土木部資料)

6―24表 京葉臨海地域土地造成計画表
(単位:ha)
地区名地先事業主体計画面積A昭和47年度末埋立完了面積B昭和47年度末埋立工事進捗率B/A×100%今後埋立予定面積第4次5ケ年期間中埋立予定面積C昭和52年度末埋立工事進捗率B+C/A×100%備考
葛南浦安1期浦安町8678671000100
浦安2期浦安町56000560560100
市川1期市川市県(市川市委託)1941941000100
市川2期市川市4340043421750西地区
京葉港1期市川市・船橋市1371371000100中央A地区
船橋市・習志野市71731143406406100東地区
京葉港2期市川市・船橋市3450034517350中央B地区
(旧)市川市川市88881000100千鳥町、加藤新田、高浜町
市川市1601601000100高谷新町、二俣新町
(旧)船橋船橋市1821821000100日の出町、栄町、西浦町
船橋市39391000100浜町
船橋市59591000100若松町
(旧)習志野習志野市日本住宅公団1091091000100津田沼
習志野市京成電鉄(株)59591000100谷津町
小計3,9502,2051561,7451,35690昭和52年度末埋立完了面積3,561
千葉千葉西部幕張千葉市21400214214100C地区
幕張千葉市500367464464100A・B地区
ニュータウン
検見川千葉市3413411000100
稲毛千葉市県(千葉市委託)428397933131100
(旧)幕張千葉市67671000100
(旧)稲毛千葉市79791000100
千葉港中央千葉市23231000100寒川
千葉市6106101000100
千葉南部千葉市県(川鉄委託)72156578156156100川崎町(旧306,川鉄1期170 2期245)
千葉市県(川鉄・東電委託)307216709191100生浜町(旧39,川鉄1期175 2期26,東電67)
五井市原市原市61611000100八幡浦
市原市6536531000100五井市原
五井姉崎市原市1,4641,4641000100
小計5,4684,51283956956100昭和52年度末埋立完了面積5,468
君津北袖ケ浦袖ケ浦町4104059955100
南袖ケ浦袖ケ浦町8745566431824492長浦(588)奈良輪(1期212 2期74)
木更津南部木更津市46435376111111100
君津君津市県(君津市・新日鉄委託)88273784145145100新日鉄(1期633 2期197)
富津富津市1,3256151,26499980
小計3,9552,112531,8431,50491昭和52年度末埋立完了面積3,616
合計13,3738,829664,5443,81695昭和52年度末埋立完了面積12,645

(千葉県土木部資料)

京葉臨海工業地帯の造成

 この土地造成は、初期から「千葉方式」といわれた。千葉方式は県が埋立権を持ち、県が漁業補償と埋立工事を行い、誘致企業の決定権を持つ。土地造成費は進出企業の予納金による。企業誘致は土地造成より先行して買手つきの土地造成とする。工業地帯の公共施設は進出企業が負担するものとし、そのために工業地帯整備負担金の制度をつくる。これは県が漁業補償のときにも工場が進出後にも地域住民の福祉を守り、企業からうける被害を少なくし、更に財力のない千葉県が計画どおりの工業地帯をつくろうとするものである。千葉方式によれば、千葉火力発電所の一一万坪の造成(昭和三十年)には、会社納入は五億四千万円、工事補償費が四億五千万円であったが、県の負担は九千万円であった。五井・市原地先の二一四万坪の造成(昭和三十七年)には、会社納入が三億一千万円、工事補償費が三億四千万円であり、県の負担は約三千万円であった。千葉方式はよい方法であったが、企業からの予納金の支払いがおくれると、県がその支払いを代行しなければならないので、県財政の重荷となる。昭和三十年代末から千葉方式はくずれてきた。木更津地区の新日鉄の用地(昭和三十六年)や千葉地区の川崎製鉄の生浜埋立は「自社埋立」となった。浦安地区の二八五万坪(昭和三十七年)や千葉地区の出洲埋立一五〇万坪は、京葉土地開発とか三井不動産などの民間不動産業者にゆだねるようになった。この場合は埋立地の三分の一を公共用地として県がうけとり、残りの三分の二は民間埋立業者の所有地となった。この土地は県の計画を行うことができず、不動産業者の任意の土地利用ができることになる。また市川市や千葉市も県から委託埋立ができるようになった。

 京葉臨海工業地帯の産業基盤として重要な問題は工業用水の供給であった。重化学工業は別名に用水型工業というほど大量の工業用水を使用する。この用水型工業が臨海一帯に立地するならば、京葉臨海工業地帯は、用水が不足する。用水供給は昭和三十八年の千葉県工業用水需給計画によって全体計画ができあがった。これによれば、京葉臨海工業地帯の水需要は日量二九〇万トン(地下水四二万トン、工業用水道二五〇万トン)の使用を計画している。この供給は養老川(日量二〇万トン)、小櫃川(日量四〇万トン)、小糸川(日量一〇万トン)、湊川(日量一五万トン)などによって市原・木更津地区に供給し、残り一五〇万トンは利根川から取水し、別に川崎製鉄は自家水道で印旛沼から日量一五万トンを取水する計画であった。このほかに養老川に山倉ダムや、小櫃川に河口堰をつくったり、両総用水からの引水案などがある。

 工業用水として日量二九〇万トンの需要は、埋立計画の面積から算定されたものであった。これに用水型工業の企業からの需要量などが考慮されていた。京葉臨海工業地帯の水需要量は流動的であった。埋立計画を縮小すれば、水需要は少なくなり、工業業種が変われば水需要は少なくなる。しかし、昭和四十年代になると、企業の用水源を地下水にたよることが増加し、臨海部から市街内陸部に地盤沈下が発生しはじめた。同時に地下水の汲上げに一役をかっている天然ガスの採取も地盤沈下の原因となった。また、人口の転入が激しく増加してきた昭和四十年代の末になると、生活用水の不足が問題となり、人口流入の抑制さえ必要となってきた。工業用水の供給は、昭和五十一年以降に大きな問題になる見通しが強くなった。かくて東京湾岸の水利体系は大きくきりかえられてきた。農業県であった東京湾岸は従来から農業水利体系としてできあがっていた。京葉臨海工業地帯を造成してきた過程において、これは工業水利体系に再編成されて、内湾に流入する中・小河川のみならず、印旛沼、利根川までこの水利体系の中にくみこまれた。さらに人口が増加して都市用水が大きくなると、工業用水水利体系は、都市用水水利体系と競合していくことになるだろう。