4 工業構造と企業の特質

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 臨海工業地帯に進出した工場は、その業種からみれば、装置系の工場が多く、機械系の工場や組立加工系の工場は少なかった。装置系の工場は鉄鋼・化学コンビナートや石油・化学コンビナートをつくっている。あるいは有機的にむすびついた工場群をなしている。例えば市原市では古川鉱業が銅の精煉をし、古河電工が電気銅や電線をつくり、富士電気は重電機械をつくっている。京葉臨海工業地帯は千葉地区に川崎製鉄、君津地区に新日鉄などの巨大な銑鋼一貫工場が立地している。かつて葛南地区に日本鋼管の進出計画があったが、用水の問題から中止された。しかし船橋の久保田鉄工や市川の神戸製鋼などが進出している。京葉臨海工業地帯は日本における鉄の大産地となった。また出光興産・丸善石油・極東石油などの石油精製業が進出し、更に三井グループの石油化学などが進出している。東京電力の三大発電所があいついで建設され、火力発電として日本一の電力供給地となっている。京葉臨海工業地帯は重化学工業を中心とした単純業種からなりたっている。ここは鉄と石油の産地であるが、これらの工業原料を高次加工する工業が少ない。いわば工業素材センターというべきで、多角的な工業業種が立地している総合工業地帯にまで発達していない。

京葉臨海工業地帯

 京葉臨海工業地帯は計画において鉄と石油の基幹産業を中心として多くの関連産業や下請工場が派生するはずであった。例えば唯一の組立加工系の造船工場には二六〇種の下請工場が集合するはずであった。富士電機の機械系工業には八〇種の下請工場を必要とした。これらの下請工場は京葉臨海工業地帯に発生しなかった。内陸工業団地に多くの工場が東京から分散してきたが、これらは特に臨海の工場との関係はうすい。

 しかし京葉臨海工業地帯は大きく発展した。千葉県の工業出荷額をみれば、昭和三十五年では二、一〇一億円で全国第一七位であった。同四十五年には二兆三三五三億円となり、全国第八位となった。県の新長期計画によれば、京葉臨海工業地帯が完成する昭和六十年には、就業人口は臨海工業に約二九万二千人、関連産業に二万六千人、その工業出荷額は四兆二千億円と推定されている。臨海工業地帯をはじめ内陸工業の発達によって、県民一人当たりの分配所得は高くなった。昭和三十五年には一〇・九万円で全国平均の七六・五パーセントであった。同四十五年には五五・七万円となり、全国平均の九七・八パーセントとなった。一人当たりの分配所得が全国平均を上回るのは東京・大阪・神奈川・愛知・京都・兵庫・埼玉・静岡などの都府県であり、千葉県はこれらに次いでいる。しかし昭和四十年代から高度経済成長のひずみが激しくあらわれてきた。大気汚染・水質汚濁・地盤沈下などの環境破壊が進んでいる。急速な都市化と激増する人口があり、経済開発を第一としてきたので、生活環境が悪化し、下水道・公園・学校などの生活施設は立ちおくれ、通勤・通学などの輸送のみならず、道路は交通渋滞がいたるところに発生している。産業資本の投資は盛んであるが、社会資本の投資は立ちおくれている。