昭和三十七年県に進出した主な企業

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 松戸市に六一、市川市二八、柏市二五、八千代市二〇と多数の製造業が進出した。しかし、松戸市開発協会による、稔台・松飛台・北松戸の各工業団地のように集団的に進出したのはまれであった。進出地域は分散し、土地利用上、地域開発上好ましいものではなく、更に企業の規模・製造内容が種々雑多で、たとえ隣接立地しても、企業間に何らの結びつきもなく個々ばらばらであった。工場環境の整備も進まず、近接立地による経済効果はみられなかった。

 一方県では、内陸開発業務の大部分が商工労働部工業課に移り、同課において内陸工業誘致についての基本方針を再検討した。その結果、進出企業の内容の不統一による低経済性を反省し、以後は各団地をなるべく同種の企業群または協業体制を取りうる企業群にまとめるという方針をうちたてた。この方針に沿って設立されたのが、千葉市千種町の千葉鉄工団地協同組合と、越智町の東京靴下団地協同組合である。これ以降も、独自に進出した企業が多かったことはいうまでもない。