千葉鉄工業団地協同組合

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 工業全般にわたる近代化・合理化のすう性の中で、中小の鉄工業も設備の拡充・合理化が必要となった。

 しかし、これら中小鉄工業は市街地に工場がある場合が多く、敷地はせまく、また公害の発生も懸念される。求人もむずかしく、労働力不足となる。需要が増大し、拡大する市場に対処するには、新しい工場用地を求めて立地する必要があるが、各企業が個々にしたのでは無駄が多い。

 そこで共同で新工場用地を造成し、工場地帯としての環境の整備を行い、共同施設の利用や、共同事業をすることによって、生産・経営の合理化をし、生産性の向上を図ることを目的として、昭和三十七年十一月組合を結成した。

6―10図 千葉鉄工業団地協同組合(千種町)

 組合員は、二三企業である。

 昭和三十八年から用地取得・団地造成に着手した。国の助成団地にも指定された。同年、六企業が建設に着手した。以後着実に進展し、四十三年に工場集団化事業を完成した。

 総取得用地二〇万七千平方メートル、進出企業二三、国からの交付金は三億三千八百万円であった。

 昭和四十五年現在における同団地の内容は、六―二六表に示すとおりである。

6―26表 千葉鉄工団地協同組合の構成
(昭和45年現在)
規模機械製造板金製缶鉄骨板金鍛造製線
従業員数20―29人211004
30―996211111
100―199112105
200―299111003
10552123
資本金~200万円102014
201~500610108
501~1,000130105
1,001~213006
本社所在地
千葉市内県内東京都内大阪
団地内市川市江東葛飾江戸川墨田台東大阪市
4431521111
84101

(鉄工団地資料より作成)

 同団地の定款には組合員の資格として、「鉄工業を営む小規模の事業者であること」とあり、また「常時使用する従業員が三百人をこえた時は、組合に届け出なければならない」と規定している。

 この定款のとおり、団地内の企業は機械製造一〇、板金製缶五など、すべてが鉄工業関係であり、従業員規模も三百人以下で、三〇~二〇〇人程度の企業が大半である。株式会社一八、合資会社二、有限会社一、個人経営二であり、資本金は、二百~一千万円程度が多く、最高は一億円が一企業である。

 この団地は、中規模の鉄工関係企業の団地といえる。本社所在地は、東京都内が一〇で一番多く、市内は八企業である。この工業団地といえども、城東地区の企業が工場増設又は工場移転をしたという、ほかの内陸工業地帯と同じ性格のものなのである。

 千葉市市街地からの移転企業は少ないが、それは移転に必要な資力が不足していたり、意識の問題であって、移転を必要とする企業が少なかったというのではない。二三企業の移転は全部の移転が一五、一部の移転が八である。

 この団地の共同施設は専用水道・給食センター・共同住宅・診療所・総合運動場・組合事務所があり、更に共同作業所と共同技術開発研究工場を建設した。

 この中心となるのが、(株)千葉コンビナックスで、その役割りは、(一)共同受注・購入 (二)共同設計・製図 (三)共同新製品開発・製造 (四)共同計算・コピーセンターなどである。ただ、これら共同施設の十分な活用については今後の課題である。共同事業は、(一)集団求人 (二)組合員に対して事業資金として、証書貸付・手形貸付・手形割引などの金融事業などである。

 二三企業の主な取り引き先は、次のとおりである。

(一) 団地内企業との取り引き関係のあるもの――四企業。企業間の連繋(れんけい)が少なく、コンビナート形式ではなく、まさしく団地である。

(二) 京葉工業地帯、及び市の内陸部に進出した企業と関連のあるもの

 イ 川鉄との結合が主――二

 ロ 市役所との結合が主――一

 ハ 市内自動車販売会社と結合――一

 ニ 市北部工業団地内企業と結合――一

 ホ 臨海部企業との結合――二

 ヘ 日立茂原系列――一

 二三企業中、八企業が地元企業との結合を主とするもので、このほか多少とも関係のあるのは六企業である。半数以上の企業は、東京を中心とする京浜工業地帯から原料を入手し製品を出荷する。この団地は、市内から進出した企業は少なく、取り引き関係でも地元との関連が大きいとはいえず、これが千葉市工業センター成立要因の一つになった。

 昭和三十八年以降四十一年までの三年間に、一八企業の進出があったが、その主なものは、次のとおりである。

 京葉ダンボール――本社・工場は桜木町。市の斡旋で進出。県内進出企業からの注文で段ボールケースを製造する。

 三敬――園生町。ハンドバッグ、ポケットバッグなどの袋物総合メーカー。従来の下請け加工を中心とする手工業生産を改め、自家生産によって需要の増大、内容の多様化に適応できる生産態勢を確立するため、工場・研究所を園生町に建設した。この工場では、ポケットバッグの生産が中心である。