東京靴下団地協同組合

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 事務所の所在地は中央区日本橋両国。団地の所在地は土気地区越智町である。

 墨田・足立・荒川・江戸川・葛飾・江東各区に点在していた靴下関係企業二一社が、工場用地の拡大、設備の近代化、事業の共同化・協業化による生産性の向上と、労働力の定着化をめざして昭和三十九年九月、東京靴下団地協同組合を結成した。東京からの距離・地価・交通の各条件に合致した県開発公社造成の工業用地の譲渡を受け、昭和四十年から団地建設に着手し、昭和四十三年に集団化が一応完成した。昭和四十年に国の指定団地になった。

 靴下編立一二、仕上加工一、糸巻一、運送一の一五企業から成っている。国から高度化資金を一億八千万円交付された。靴下製造一四企業の規模をみると、従業員数では最低一一人、最高四八人、一九人以下五、四〇人以上は二企業である。資本金は、最低五〇万円から最高二千万円で、五百万円以下は五、一千万円以上は四企業である。この団地は優秀企業の進出によって形成されたといわれるが、従業員数や、資本金額からして、この業界の規模は、零細なものであり、協同化の必要性がうかがえる。一四企業とも、工場施設を全部移転させたが、本社は、都内の旧所に置いている。

 共同施設は、組合事務所・研修所・加工所・倉庫・糸巻工場・マーケット・食堂・運動場を持っている。糸巻工場の運営は組合員に委託し、マーケットは組合が運営管理し、専門業者に委託経営させている。共同施設は、ほとんど全企業が利用している。共同事業は、販売・購売(副資材を組合で一括購入)・運送・広告・教育訓練・求人・事務である。団地形成によって企業イメージが向上し、信用が増し、受注量・販売量共に増大し、また全企業とも団地内に社員宿舎を持っているので通勤時間が解消し、就労条件が向上し、雇用難も解消した。今後の問題としては、運転資金の調達・拡充と、共同営業所の建設促進がのぞまれている。