昭和四十三年進出の主な企業

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 伊勢化学千葉工場――六方町。旭硝子が中心となって設立した。当工場は千葉市に産出する原料に吸引されて立地した。帝国石油千葉鉱業所で天然ガスと共にくみだすかん水(沃化ナトリウム)を原料として、沃素製造を行っている。若松小学校付近、帝石事務所(原町)、源町、愛生町、東寺山の五地点より取水する。一日のかん水使用量は約一万二千トンである。関東天然ガス開発からも取水予定。沃化ナトリウムは塩化ナトリウムにして葭川に排水する。沃素は製品が品不足で需要はあるが、地盤沈下の問題で天然ガス開発が制限される傾向にあり、また塩化ナトリウムを排水するので公共排水施設の不備から排水公害がおこる可能性もある。

 東日本高圧――長沼町。企業協力によって過当競争をやめ、アセチレンを大量生産して生産コストをさげることを目的とし、高圧ガス工業・電気化学工業など七社の共同出資で昭和四十二年設立された。溶解アセチレンの製造能力が月産二百トンの工場を建設し、昭和四十三年に製造を開始した。原料のカーバイドは電気化学青海工場(新潟県)から国鉄で千葉駅に送られる。製品の大口需要先は、川鉄・三井造船・石川島播磨造船である。なおここは単一工場としては業界最大の施設をもっている。

 白鷺燐寸製造所――本社・工場は園生町にある。姫路市で広告・宣伝用マッチを生産していた。関西地方は広告用マッチ市場の中間点であるが、東京は同市場の東端にあたるので、工場の関東立地は有利とはいえない。しかし、当社は二十年前より千葉市に事務所をおき、東京・千葉を中心にして販路を広げ、製品の九〇パーセント以上を出荷していた。そこで問屋の便宜を第一として、需要地に立地することによって受注と納入が円滑になり、また需要の変化にすぐ対応できることを考慮して、当地に工場を移転立地させた。原料の薬品は神戸、軸は東北地方、紙は静岡から運ばれる。熟練工は前工場からの配転社員である。