千葉市工業センター協同組合

128 ~129 / 546ページ

 千種地区の鉄工団地には、地元から参加し得た企業は少なく、大部分が東京からの企業であった。そこで、本当に地元企業者のための工業団地を造成しようとの声が高まり、市の仲介で、昭和四十三年春、準備委員会を結成した。三四企業の賛同を得て、同年八月正式に発起人を決定し、翌年三月から各社の計画の一〇パーセントを目途に、資金の積立を開始した。昭和四十四年一月組合の創立総会を行い、四月東京通産局から認可され、五月に登記が完了し、実際の活動に着手した。当初は三五企業の参加で発足したが、資金不足、不適格業種・公害・都市計画地域などの理由で早急に移転を必要とするものなど、各企業の事情で脱退するものがみられ、四十五年末には二七企業、七七〇口、七七〇万円となっている。四十四年、参加企業への事業資金の融資を開始し、翌年には市開発財団が造成した用地三万九千平方メートルを取得、更に、独自に用地買収を行い、四十六年総計五万六千平方メートルの買収を完了した。用地取得のため、国から高度化資金三億一千万円の借入も完了した。四十六年五月から工場用地・上下水道の建設に着手し、四十七年度には一応の完成をみた。この団地の場合も前記のように中途で脱落する企業もあったが、その最大の理由は、企業の資金調達力が弱かったことである。地価の高騰で地主が土地を手離さなくなり、当初の計画どおりの用地買収が困難となっている。

 次に、昭和四十五年末現在の資料で進出希望二七社の内容を概観してみよう。

(一) 本社所在地――市内の一五町に一六企業、県内の四市に五企業、都内の五区に六企業であり、市内の企業が多い。

(二) 資本額――最低三〇万円から最高八百万円であるが、三百万円未満が過半数である。

(三) 従業員数――最少三人、最多五六人であるが、一四人以下の工場が一四企業、二五人以上は三企業のみである。

 以上のように、当センターを構成するのは小企業である。小企業は、計画にわずかな狂いでも出ると、移転が困難になり、また資金のかからない地域への移転を余儀なくされるのである。

 次に企業内容をみると、金属製品の加工業は一〇、機械部品の製造業は八、金属加工業は四、その他は五である。

 このセンターを隣接の鉄工団地と比較すると、次の特長がある。

一 地元本社の企業が多い。

二 進出企業の内容は大体共通である。

三 企業規模が零細である。

四 団地形成の要因はほぼ共通である。

 さて、昭和四十七年度から工場建設に入ったが、実際に着手をしたのは、加入二七企業のうち二五企業であり、また建設着手の二五企業のうちには、四十五年度にはない新メンバーが一部入っている。