汐干狩とそのサービス業の変容

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 水産業には入らないが、千葉の海岸は、その遠浅性と都市近郊的位置のため、海水浴客・汐干狩客でにぎわった。養殖のために稚貝をまきつけたので、汐干狩の適地となり、総武線、京成線が開通して東京方面から多くの客をひきつけたのである。

 特に稲毛の海岸が、にぎわったようで、浅間神社の存在も、観光的要素をもたらし、文人墨客の来葉をみたものと思われる。

 前掲書によればシーズンになると駅から吐き出された家族連れが、海を目指してゾロゾロ歩き、道路沿いには、浮袋・ムギワラ帽・みやげものの貝を売る屋台店が、縁日さながらであり、浜辺には丸太で組んだヤグラの上に茶店が十数軒ずらり、この茶店は納涼台と呼ばれ、海水浴客・汐干狩客はここで脱衣したり休憩する。これらの経営者は、漁業協同組合員、又は組合の株を有しているものであったが、お客は休憩料を払い、海に入るときは別に入漁料を払う仕組みであった。

汐干狩り

 昭和三十六年に、稲毛の海岸は埋立が始まったため、国道に沿った茶店などは、埋立の前面に移った(六―一五図)。更にその先への埋立が始まったので、ついに、その茶店などは廃止か転業をするにいたった。埋立が進行するにしたがって、汐干狩、海水浴場は幕張地区の海岸に移動した。この地区の国道十四号線には汐干狩の人々の自動車が道路の片側に列をなしたことがあった。しかし、幕張地区の埋立によって汐干狩も海水浴もできる海岸はなくなった。

6―30表 潮干狩休憩施設の消滅状況
海岸名積昭和35年昭和44年
施設軒数収容人員施設軒数収容人員
船橋海岸1(ヘルセンター)15,00055,500
谷津海岸1810,000197,500
幕張海岸31,500↑千葉市内↓128,000
検見川海岸1(組合座敷)200
稲毛海岸2515,000
黒砂海岸13,000
西千葉海岸75,000
出洲海岸710,000
生浜海岸3600
姉崎海岸42,500
袖ケ浦町奈良輪51,000
木更津市鳥居崎21504500
青堀海岸131,5002822,000
富津海岸101,500
10066,9506843,500
注 昭和44年度については,潮干狩も楽しめる遠浅の海岸として説明,消極的なってきた。

(県観光協会案内パンフレットによる)