千葉市の地先海面への企業進出の始まりは、昭和十五年六月、内務省土木会議で決定された「東京湾臨海工業地帯造成計画」によって、千葉県が千葉市今井町地先の海面約二九七ヘクタール(九〇万坪)を埋立て造成した日立航空機(昭和十八年操業、終戦で中止)からである。この既埋立地を転用して、昭和二十五年十一月二十日、川崎製鉄株式会社を誘致した。
そして、昭和二十七年三月樹立された「千葉県産業経済振興計画」に基づき、浦安町から富津市に至る京葉臨海工業地帯の造成計画が本格的に進められた。昭和三十一年十二月には「千葉県産業振興三箇年計画」が樹てられ、積極化された。六―一一図と六―一六図を比較してみると、いかに多くの漁場が消滅したかがわかる。
各地区ごとの埋立状況は次のとおりである。