千葉西部地区

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 ここには幕張・検見川・稲毛の漁業協同組合の漁業権があった。

 幕張地区の埋立は昭和三十二年から始められた。造成面積は六七・一ヘクタールであるが、他地区のように海底の浚渫土での埋立ではなく、いわゆる岡土が利用された。すなわち印旛沼の水を幕張地先に落とすために水路(現花見川)を掘削する工事で生ずる掘削土を転用して埋立てたものである。

 同じ幕張地先で、前記埋立地の西側、習志野市境までの間の埋立が昭和四十一年に行われ、ここに六〇・八ヘクタールの住宅用地ができた。これらの埋立に対し、幕張漁業協同組合との補償交渉は昭和四十年に妥結しており、漁業権は一部放棄されている。

 稲毛地区では、昭和三十六年から三十九年にかけて千葉市の手によって八三・三ヘクタールの埋立が行われたが、この際の補償金は一億三千六百万円で市から稲毛漁業協同組合に支払われ、漁業権の一部が放棄されている。

埋立記念碑

 その後、京葉臨海工業地帯への企業進出に伴い、千葉市周辺への流入人口が急激に増加し、都市化現象が著しいところから、千葉市ではニュー・タウン及び公園緑地の整備を計画的に促進することとなり、この工事を(一)幕張地区(二)検見川地区(三)稲毛地区の三地区に分けて行うこととし、その面積を、一、五二一・九ヘクタールとした。

 この計画に基づく漁業補償は、検見川漁業協同組合については昭和四十二年三月、稲毛漁業協同組合については昭和四十三年六月に、それぞれ県との間に交渉が妥結し、漁業権は全面的に放棄された。幕張漁業協同組合については昭和四十五年現在、交渉中である。