『千葉港統計年報』(各年)によって入港船舶総数をみると、まず隻数は昭和二十九年の二、三五四隻から昭和三十三年、三十七年は減少するが、全体として増加の傾向にある。特に、昭和三十二年は前年に比べて六八パーセントも増加し、更に、昭和三十八年は八六パーセント、三十九年は六九パーセントといずれも前年より増加した。また、港湾区域の拡大があった次の年の昭和四十四年には、約七〇パーセントも前年より増加した。隻数において入港一万隻を超えるのは昭和三十六年であるが、三十八年は飛躍的増加の年になっている。
第二に、総トン数からみれば、これも増加の一途をたどっている。昭和二十九年に一〇六万トンだったものが、三十八年には千四百万トンで前年より八三パーセント増加し、三十九年には、更に、四七パーセントふえて二千万トン、四十三年は前年より三四パーセントふえて四千八百万トン、四十四年は五千万トンを越え、四十五年には六千五百万トン強になった。これは隻数の増加とともに、大型船の入港が増加していることを意味している。
第三に、入港船舶の大型化の傾向をみたい。船舶の大型化は機帆船・帆船においても若干その傾向をみることができるが、これは汽船において最も顕著である。一万トン以上の入港船舶数を年次を追ってみれば、昭和三十年までは一万トン以上の船舶は一隻もみられなかった。また、昭和三十四年までは一万トン以上の入港船舶はみられるが一〇隻未満である。大型船が飛躍的に増加するのは昭和三十五年以降で、三十五年に三七隻、三十七年には一四七隻となる。また、四十三年には千隻をこして一、〇二九隻、四十五年には一、〇九六隻もの一万トン以上の船舶が入港している。これらの大型船は外航船に圧倒的に多く、昭和三十九年は三四〇隻のすべてが外航船であった。また、昭和四十三年も一、〇二九隻中七四パーセントの七五九隻、四十五年は一、〇九六隻中九五パーセントの一、〇四一隻が外航船である。
入港最大汽船の推移をみると、昭和三十七年までは若干の例外を除けば、石炭船と鉄鉱石船が入港最大汽船となっていた。しかし、昭和三十八年以降はすべて原油輸送船に変わっている。また、石炭船や鉄鉱石船はいずれも四万トン未満であったが、タンカーになると、昭和三十八年には七万トンをこえ、四十三年は出光丸一〇万トンが入港し、四十五年には沖の島丸一三万八四一トンが入港している。これらから、現在は、大型タンカー時代にはいったことがわかる。
国籍 | 隻数 | 構成比 |
総数 | 1,847 | 100.0 |
日本 | 820 | 44.4 |
外国 | 1,027 | 55.6 |
リベリア | 344 | 18.6 |
イギリス | 122 | 6.6 |
ノルウェー | 112 | 6.1 |
ギリシヤ | 90 | 4.9 |
大韓民国 | 80 | 4.3 |
パナマ | 52 | 2.8 |
ソビエト連邦 | 47 | 2.5 |
スエーデン | 25 | 1.4 |
中華民国 | 24 | 1.3 |
オランダ | 21 | 1.1 |
フィリピン | 11 | 0.6 |
インド | 11 | 0.6 |
シンガポール | 10 | 0.5 |
その他 | 55 |
(『千葉みなと』100号特別記念号)
年次 | 汽船 | ||||||
日本船 | 外国船 | ||||||
船名 | 総屯数 | 備考 | 船名 | 総屯数 | 国籍 | 備考 | |
昭和28年 | 高栄丸 | 6,803 | ノーフォーク(石炭) | フォンサイド | 6,648 | ノルウェイ | ノーフォーク(石炭) |
29 | 昭川丸 | 8,347 | 〃 | チャイナベヤー | 8,212 | アメリカ | ストックトン(鉱石) |
30 | めきしこ丸 | 9,322 | 〃 | トラレーダー | 8,607 | ノルウェイ | バルチモア(鉱石) |
31 | 神川丸 | 9,632 | 〃 | アンドロスヂャウリイ | 10,056 | アメリカ | ノーフォーク(石炭) |
32 | 神川丸 | 9,632 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
33 | 日端丸 | 12,356 | カルカッタ(石炭) | ジャイユング | 10,967 | 中国 | ゴア(鉱石) |
34 | 新田丸 | 12,094 | マックニール(鉱石) | アルゴエラス | 10,397 | ギリシヤ | ノーフォーク(石炭) |
35 | 日興丸 | 13,689 | 〃 | サークオス | 13,940 | 〃 | ニューポートニース(石炭) |
36 | つばめ丸 | 20,420 | クエート(原油) | ケラグノス | 25,183 | 〃 | ガヤカン(鉄鉱石) |
37 | あんです丸 | 32,068 | サンニコラ(鉄鉱石) | オリオンハンター | 39,287 | アメリカ | 佐世保 |
38 | 泰光山丸 | 38,164 | ラスアルカフジ(原油) | ユニバースダフニー | 72,266 | リベリア | ミナアルハマゴ(原油) |
39 | 田島丸 | 52,272 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
40 | 山寿丸 | 71,114 | ミナアルハマゴ(原油) | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
41 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
42 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 〃 |
43 | 出光丸 | 107,954 | クウエート(原油) | ベラグブラーグト | 80,002 | ノルウェー | クウエート(原油) |
44 | ジャパンマーガレット | 117,500 | カーグアイランド(〃) | モビルペガサス | 112,600 | イギリス | ラスタヌラ(〃) |
45 | 沖の島丸 | 130,841 | カーグアイランド | Olympic Armour | 109,500 | ギリシャ | カーグアイランド(〃) |
ミナアルハマゴ(〃) |
(『千葉港統計年報』)
以上、入港船舶を隻数・トン数・大型化という面から実態をみたが、いずれにおいても急増の傾向にあることがわかる。これは、京葉臨海工業地帯の発展と深い関係がある。昭和三十二年の入港船舶数の急増は、川崎製鉄に加えて東電千葉火力発電所が稼動したからである。この年に重要港湾に指定された。また、港域も拡大された。昭和三十八年、三十九年の飛躍的な増加は進出企業の操業開始と関係がある。昭和三十五年に五井・市原地区に約六二〇万平方メートルの埋立地が完成し、ここに進出した電力・石油関係・造船・化学・電気・金属など多くの大企業がそのころから操業を開始したからである。また、昭和三十六年には一〇万トン級船舶の入港可能な専用埠頭をもつ埋立地約一、四三〇万平方メートルが完成し、それが操業してタンカーを入港させたためである。この昭和三十八、三十九年から大型タンカー時代が始まるとみてよい。大型タンカーの入港が難しかった千葉港では、水深一六メートルの航路をつくって一〇万トン級船舶の航行を可能にし、それが接岸可能な専用岸壁をつくっているが、陸岸でなく、海上から石油を送る手段もとっている。
丸善石油では昭和三十九年にイモドコブイを沖合五、六キロメートルにつくった。これは、直径一五メートルで、一〇万トン級タンカーが着き、直径七五センチメートルの海底パイプラインで陸上のタンクに送るものである。これの使用は昭和四十年からであるが、現在は京葉シーバースの使用が多く年に数回しか使用していない。
京葉シーバースは、丸善・極東・出光・富士の四大石油企業による合弁会社(京葉シーバース株式会社)である。昭和四十二年に千葉県から許可をえ、四十三年に完成してこの年第一船が入港した。沖合七キロメートルにあり、長さ四七〇メートル、幅五〇メートル、水深二〇・五メートルで、両側に二〇万トン級のタンカーが同時にけい留できるものである。ここで吸い上げられた原油は、海底四メートルに埋設した直径一二〇センチメートルの三本のパイプラインによって、それぞれ四社の原油タンクに送られる。
昭和四十三年以降、港域の拡大、進出企業の増加と稼動、大型船の接岸が可能な専用岸壁の造成などが着々と進んでいる。現在、一日平均大小さまざまな船約二〇二隻が千葉港に入港していることになる。このうち、四隻は外航船である。
一般に外航船は大型船が多いこと、千葉港は工業港として特色があるが、後述する公共埠頭に着く商船が増加すること、更に、港勢推移からみて入港船舶は今後増加が予想されることなどの動きを考えるとき、千葉市は、国際的港湾都市となろう。これの性格を備えるべく臨海中心に都市建設をすすめているが、今後、更に積極的な業務、商店街、ホテル群などの建設が必要であろう。