5 主要品目と取引先の特徴

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 輸移出入貨物を『千葉港統計年報』によって、品目別にみれば次のようにまとめられる。

 まず、輸移入をみると、昭和二十九年では川崎製鉄の鉄鉱石を主とした鉱物類が四六万トンで全体の四五パーセントを占め、次いで石炭が三七万トンで三六パーセント、両者で八〇パーセントを越えた。この石炭・鉱物類が大部分を占める状態は、例えば昭和三十二年の六九パーセント、三十五年の七九パーセント、三十七年の七八パーセントと約一〇年間も続く。ここまでが川崎製鉄・東京電力千葉火力発電所などを中心とした重工業時代である。この時期の千葉港は鉄鉱石と石炭を輸送する船舶が目立って多かったわけである。しかし、昭和三十八年になると、石油工業がようやく操業を始め、鉱物類・石炭は四七パーセントとなり、油類が四二パーセントを占めるようになる。ここにおいて、重工業と化学工業がならび、昭和四十三年は鉄鉱石・石炭は三三パーセント、原油は三五パーセントとなって、石油化学工業がわずかに優位となる。この昭和三十八年からの五年間は、重工業と化学工業が平衡を保つ併立の時期であった。昭和四十五年になると、鉄鉱石・石炭は一九パーセントに低下し、原油は四四パーセントとなって、はっきりと石油化学工業が優位にたった。特に、石炭の比率低下の目立つことが注目される。千葉港はさまざまな船舶が出入するが、大型タンカーが最も目につく存在になったのである。

6―22図 昭和47年度輸移出入貨物の構成 (1)輸出入貨物構成
(2)移出入貨物構成 (『千葉みなと』第10号)

 第二に、輸移出をみると、昭和二十九年は金属類が三八万トンで全体の九九パーセントを占めていた。更に、三十二年は九三パーセント、三十五年は八〇パーセント、三十七年は七七パーセントとなって、年々若干の比率の低下をみながらも、川崎製鉄の製品が圧倒的に高い比率を保っていたことがわかる。京葉臨海工業地帯すなわち川崎製鉄という川鉄時代であった。しかし、ここでも昭和三十八年になると油類が六五パーセントとなって、金属類の三〇パーセントを凌駕する。その後は輸移入の場合と同様に油類の比率が高くなり、金属類との差を大きくしていく。

 第三に、主な輸移出入品目について、それぞれ昭和四十五年の場合を例にして、仕出地と仕入地との関係をみたい。

 輸出は、鉄鋼が約一二〇万トンで、輸出全体の九一パーセントを占めており、大部分は川崎製鉄の製品である。輸出先は二三カ国、五六港に及んでいる。この鉄鋼の五〇パーセントに当たる六〇万トンはアメリカ合衆国のロスアンゼルス、ニューオリンズ、ヒューストンなど二二港に輸出される。次いで、韓国の釜山や仁川へ一一パーセント、フィリピン(四港)へ七パーセント、中国(四港)へ四パーセント、タイのバンコク、アルゼンチンのブエノスアイレスへ各三パーセント送られ、アメリカ合衆国に重心がかかっている。

 輸入は、原油が二、九四五万トンで全体の六三パーセント、次いで鉄鉱石が七九六万トンで一八パーセントとなっている。原油は一〇カ国、一五港から輸入し、イランのカーグアイランドなど二港から四七パーセントに当たる一、三八〇万トンを輸入するのが最大である。次いで、クウェート(ミナアルハマゴなど二港)から二六パーセント、インドネシア(ドウマイなど三港)から一三パーセント、サウジアラビア(二港)から九パーセントなどと続く。ペルシャ湾岸の西南アジア諸国から大型タンカーによって輸入するのが圧倒的に多いことがわかる。マラッカ海峡の航行問題は、千葉港の原油輸入とも深くかかわりあう問題である。鉄鉱石は一七カ国、四五港から輸入し、オーストラリアのポートヘットランドなど八港から三四パーセントに当たる二六七万トンを輸入する。以下、インド(九港)から一九パーセント、フィリピン(四港)から一二パーセント、カナダ(四港)から九パーセント、チリ(三港)から七パーセント、マレーシア(四港)から五パーセントと続く。オーストラリア・カナダ・インドなど、もとイギリスへの供給地からのもの、東南アジア・南アジアなどのアジア諸国・太平洋沿岸諸国などとまとめることができる。

6―23図 鉄鋼の輸出入国――千葉港――(昭和45年度)

 移出は、重油が七八五万トンで全体の三七パーセントを占めて第一位、次いで、石油製品が五八五万トンで二七パーセント、鉄鋼が一三パーセント、輸送機械一三パーセントとなっている。重油は二九都道府県七九港及び上海に送られている。港別では、名古屋に一五パーセントに当たる一一九万トンが移出されて最も多く、次いで東京一三パーセント、横浜一一パーセント、姫路一〇パーセント、上海・川崎各六パーセント、塩釜四パーセントと続き、京浜・中京工業地帯と強く結びついている。石油製品も二七都道府県の七一港と上海に送られる。港では東京が最も多くて二八パーセントに当たる一六二万トンと群を抜いている。以下、横浜九パーセント、川崎八パーセント、塩釜七パーセント、名古屋・苫小牧各五パーセントと続いている。重油と同様に東京湾岸に多く、企業間の分業関係の複雑さを感じさせる。

 移入は、鉄鋼の三九〇万トンで二〇パーセント、輸送機械の三八一万トンで二〇パーセントなどが目立っている。そのほか、砂利・砂・石材と重油が各一〇パーセントで続く。鉄鋼は二七都道府県の五四港から入れ、港では北九州の五二万トンで一三パーセントが最も多く、以下、名古屋九パーセント、神戸・宇部各七パーセント、堺泉北・徳山下松・呉・鹿島各六パーセントが続く。これも石油関係と同様に関連企業間の複雑な分業関係を感じさせる。輸送機械は一〇都道府県の一五港から移入し、川崎が二八二万トンで七四パーセントを占め、広島一七パーセント、名古屋九パーセントと続いている。

6―24図 鉄鋼の移出入先―千葉港―(昭和45年度)

 千葉港の港勢は飛躍的な進展をみせた。これは、京葉臨海工業地帯の急速な発展と軌を一にしたものであった。進出各企業はほかの工業地帯にある同列資本系企業、関連下請企業との分業関係の下に、主として一次加工製品工業を千葉に立地させた。そのため輸移出入物資は、原料に非常にかたよったものになった。輸移出面からみても輸移入と同様に各工場の岸壁に巨大な専用埠頭の設置を必要とさせ、それが、鉄鋼港湾、石油港湾といわれるほどの工業港となったといえる。したがって千葉港は、日本第四位の港湾であるとはいえ、横浜・神戸などの商業港的な色彩の強い港とは異なり、川崎港と類似したものである。千葉港は各企業の個々の専用埠頭の集合体である。それぞれの企業の発展のあらわれが、千葉港の飛躍という結果になった。そうした意味で、鉄鋼・石油を中心とした千葉港が工業港として、今後更に伸びると思われるが、市民生活との関連を図ることが必要になってきた。