臨海、内陸を問わず、一般に工場は専用の鉄道引込線をもっているのが普通である。特に、大企業や重量の重いもの、かさばるものを原料や製品とする工業はそうである。現在、湾岸に臨海鉄道を建設中であるが、すでに、京葉臨海工業地帯には二種類の貨物専用鉄道がみられる。いずれも蘇我駅をはさんで内房線と接続している。
一つは、川崎製鉄の専用引込線である。主として工場内の物資の運搬に使用し、原料や製品を貨物輸送によって移出入することは少ない。
他は共同出資によってつくったものである。これは、昭和三十七年に設立された京葉臨海鉄道株式会社である。臨海鉄道は京葉臨海工業地帯の飛躍的発展に伴って、大量の原材料の搬入、製品の出荷の必要にせまられ、それの円滑な輸送を目的としている。昭和三十五~三十六年には多数の大企業が進出し、これら企業が操業を開始するや、臨海鉄道の敷設を強く要望した。臨海鉄道の敷設者については、さまざまな案が提出されたが、結局、国鉄・千葉県・進出各企業の三者による出資で株式会社を設立した。昭和三十八年二月に免許、同年九月蘇我――浜五井間九・五キロメートルと市原支線一・七キロメートルを開業した。臨海鉄道の株関係と営業状況を『貨物輸送概況』(昭和四十五年度、京葉臨海鉄道株式会社)によってみてみたい。
昭和四十五年における株数は二八五万六千株である。そのうち、国鉄が三四パーセントにあたる九八万株、千葉県は二九パーセントの八二万株、残り三七パーセントの一〇五万六千株を進出三五企業及び個人一名が所有している。
現在、駅は蘇我・村田・市原分岐点・京葉市原・浜五井・玉前・甲子・前川・椎津・袖ケ浦の一〇駅で、営業キロ程は二一・五キロメートルである。京葉臨海鉄道貨物線は、進出各企業に沿って海岸の産業道路と並行して走り、各企業はそれぞれ適当に引込線をひいて物資の輸送に役だてている。本線は蘇我駅近くで国鉄に接続する。
昭和四十五年度における発送トン数は一六一万トン、到着トン数は四六万トンである。駅別にみれば、発送は浜五井が最も多くて全体の三一パーセントを占めている。次は前川で二五パーセントである。品目別では、発送は重・軽燈油が全体の四二パーセント、化学薬品が一九パーセント、到着では私有貨車四〇パーセント、化学薬品一六パーセントとなっていて、石油・化学工業関係の利用が目立っている。