技術革新

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 昭和十七年、軽井沢に成立した保温折衷苗代は、二十五年に県内早場米地帯に導入された。本市域は中・晩生地帯であったが、折衷苗代により早期化すれば、水害や干害を避けられる利点があるので、二十七年ころから流行した。二十九年からはビニールトンネルによる育苗、三十五年からポリエチレンが登場し、健苗育成に役だった。

 昭和二十四年、トビイロウンカの発生でDDTの使用、二十五年には二化螟(めい)虫にパラチオン(BHC)が登場するにつれ、県全域に奨励されていたギンマサリ(耐病性が強い)から、三十年にホーネンワセ、翌年コシヒカリなど、施肥量増加に対応する品種が六割になった。一〇アール当たり収量を比較すると、大正元年二七八キログラムから、昭和二十二~二十六年平均二九六キログラムという四〇年間の伸びに比し、昭和三十九年には四五一キログラムとなり、飛躍的な増収となった。本市域では四二〇キログラムで、県平均よりやや低い。

 石油発動機、電動機が導入されたのは大正末期で、揚水・脱穀などに使われていたが、昭和二十一年にやっと六パーセント、三十年に三五パーセントにすぎなかった。古くから農家経営に欠かせない畜力利用が、水田適応性と運搬にも使えるテーラー型耕うん機(カルチベーター)に変わったのは、昭和二十七年ころであった。三十年代には農村の花形となり、現在では六―四二表にみるよう、過半の農家に普及した。

6―42表 農業機械の装備状況(土気地区を除く)
昭和39年昭和44年
農家数(総数)7,215戸7,143戸
動力耕うん機3,523台4,127台
電動機1,867台統計なし
脱穀機3,970台〃 
噴霧器414台527台
揚水機311台統計なし
農用車1,117台1,927台
乗用トラクター56台
通風型乾燥機2,269台
田植機27台
バインダー24台

(『市統計年鑑』)

 農業は草との闘いである。「太一車」と呼ばれる人力回転除草機が、昭和初期に千葉県に入ったが、湿田が多いので、手取りと併用されていた。広葉雑草を除くための二―四―D使用は二十五年から始まるが、水のかけひきが自由でないため、三十年代半ばでも使用農家四パーセントで、全国最下位にとどまった。その後、ノビエに効果の高いPCP剤、混合剤の開発により、四十年代に入り六〇パーセントを越える普及をみた。

 いもち病に有機水銀剤ホリドール、紋枯病に有機砒素剤が出回るのは三十年代に入ってからであった。三十七年ころから田植機やバインダーが考案され、省力化が促進され、労働時間当たりの生産量は三倍となった。

 畑作の耕地依存は変わらないが、内容的には、大きな変化がもたらされ、消費傾向の変化に対応して、市域の農業は、目をみはるような変容を示している。加温式ビニールハウスとスプリンクラーかんがいは、園芸農業近代化のシンボルであろう。これまでに卓越した麦類、雑穀、甘しょなど普通作物・冬季作付が減退し、野菜類の周年栽培化が著しい。

 スプリンクラーは昭和二十七年、アメリカから導入されたもので、ノズルから圧力をかけた水を噴出する装置で、一箇で約八メートル四方に、四〇分間に一八ミリの降水をもたらす効果があげられる。昭和三十四年、四街道大日地区で陸稲栽培に実験、成果を確認され、翌年、千葉市域でも畑作改善に導入された。温床被覆用のビニールシートは、昭和二十七年ころから早熟栽培に利用されるが、翌二十八年には竹幌式トンネルがくふうされ、三十年には、適当な間隔に丸い穴をあけて畑をカバーし、穴の部分に播種したり、苗を植えるマルチング栽培が普及し始めた。これは水分の蒸発を押え、地温を高めるほか、病虫害の予防にも役だっている。