商業の発達

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 千葉市の商業は昭和二十六年に戦災の復興が終えて、戦前の最盛期であった昭和十六、十七年の水準に達した。それからの商業の発達はめざしい歩みをつづけた。およそ一〇年ごとに二倍近くの増加をした。商業を発達させるよい条件である消費者人口の増加や所得の増加がつづいたからであった。昭和二十六年から昭和三十年代の前半の神武景気のときには、消費者人口は一・八倍に増加した。これに応じて商店数は一・八倍に、売場面積は二・三倍に、従業員は三・三倍に増加した。従業員の増加は労働市場において商業の雇用が工業の雇用と競合しない女性労働力を利用できたことが、これを容易にした。これらの増加に対して、年間売上高は、昭和二十六年の六六億円から、昭和三十五年の六一七億円に増加して、約九・三倍の激増であった。これは物価騰貴にもよるが、千葉市の総合物価指数は昭和三十五年を一〇〇とすれば、昭和二十六年のそれは七一・八であった。この物価の値上りを差しひいても年間販売額の増加は約六・二倍となった。千葉市の人口増加、消費者の購買力の増加が主力になって年間販売額を増加させた。しかし更に千葉市の商業が発達して商圏を拡大し、市域以外からの購買力の吸引が大きくなったこともあずかって力があった。

 昭和三十五年から一〇ヵ年間に更に商業は二倍以上に発達した。世は岩戸景気、高原景気と好況がつづいたのみならず、千葉市が飛躍的な発展をし始めた時期である。人口は二四万人から四八万人に増加して二倍の増加であった。商業従業員も一万六千人から三万四千人に増加して二倍となった。店数は一・六倍にとどまったが、この時期はデパートや大型店の増加が激しかったので店数そのものの増加は二倍には達しなかった。しかし売場面積は一一万平方メートルから三四万平方メートルとなって三倍の増加となった。その年間販売額は昭和三十五年の六一七億円から昭和四十五年の三、〇四八億円へ五倍の増加となった。千葉市の総合物価指数は昭和三十五年に七四・二とすれば昭和四十五年に一二三・三になっている。この物価の値上りを差し引いても、年間販売額は一〇ヵ年間に三倍に増加して、売場面積の三倍の増加と見合っていた。これは人口の増加が二倍よりも高いが、商圏がますます拡がり、消費者の購買力の吸引が強化されたことを示すものであった。

6―58表 千葉市の商業の発達
人口店数従業員数年間販売額売場面積
万円m2
昭和26年133,8441,8954,869660,50448,566
指数100100100100100
昭和35年241,6153,42716,1136,171,775112,818
180180331934232
(100)(100)(100)(100)(100)
昭和37年266,9323,54319,1667,498,018131,616
1991863931,135271
昭和39年311,5284,09923,27211,550,555136,383
2322164781,748280
昭和41年362,0174,54926,69815,836,810167,060
2702405482,397344
昭和43年420,6255,15228,96323,362,518239,086
3142725943,537492
昭和45年482,0895,70734,21330,483,886342,561
3603014944,615703
(199)(166)(212)(494)(303)
( )の指数は昭和35年を100とする(飲食店を含まず)

(『千葉県商業統計』)