千葉市の商業は明治末まで小売業のみならず、中継商業が盛んで卸売業が発達していた。鉄道の開通と港湾の衰微が明治末におこって中継商業が衰えた。その後はトラック輸送が盛んになり、ますます中継商業は衰え、まったく東京卸売商圏の中にくりこまれた。第一次大戦前の千葉市の商業は、小売商業が中心であった。戦災後に復興した千葉市の商業もまた卸売業が微弱であり、小売業の町であった。昭和二十六年の千葉市商業の年期販売額は約六六億円であったが、このうち卸売業の年間販売額は約五億円で、全体の七・五パーセントを占めているにすぎなかった。
いわゆる神武景気といわれる昭和三十年ころから、千葉市商業には卸売業が圧倒的に小売業より年間販売額が多くなった。千葉市商業はふたたび卸売業の町となりはじめて、年ごとにその勢力を拡げた。千葉市の商業構造が一大転換をして、名実ともに県下の商業都市に成長しはじめたのであった。卸売業が年間販売額にもっとも高い割合を占めたのは神武景気のクライマックスの昭和三十三~三十五年ころである。この時期は年間販売額の七五パーセントを占め、県全体の卸売年間販売額の三八パーセントを占めた。その後の一〇年間はつねに県下の三分の一強を占めていた。しかし県下の卸売業の盛んな都市の勢力が強まるにしたがって、わずかながら千葉市の卸売業の年間販売額のシェアーが低下した。千葉市の商業の年間販売額は、昭和三十五年の六一七億円から昭和四十五年の三、〇四八億円へ五倍に増加した。この間に卸売業も四五六億円から一、七〇八億円へ三・七倍も増加した。しかしながら小売業の年間販売額はこの期間に一七六億円から一、三四〇億円に、七・六倍も増加したことにはおよばなかった。したがって年間販売額の中に占める卸売業の割合も七四パーセントから五六パーセントに低下した。これは小売業の異常な発展に対して卸売業の発展をはばむ条件を解消することが容易でなく、かつ東京卸売商の強大化も一因となっていた。
年間販売額(A) | 卸売年間販売額(B) | B/A | 千葉県卸売の年間販売額(C) | C/B | |
億円 | 億円 | % | 億円 | % | |
昭和26年 | 66 | 5 | 7.5 | ― | ― |
昭和35年 | 617 | 456 | 73.9 | 1,177 | 38.7 |
昭和37年 | 749 | 486 | 64.8 | 1,563 | 31.0 |
昭和39年 | 1,155 | 759 | 65.7 | 2,142 | 35.4 |
昭和41年 | 1,583 | 1,019 | 64.3 | 2,945 | 34.6 |
昭和43年 | 2,336 | 1,433 | 61.3 | 3,736 | 38.3 |
昭和45年 | 3,048 | 1,708 | 56.4 | 5,061 | 33.7 |
(『千葉県商業統計』)
千葉市の卸売業は東京卸売商圏の中にありながら、県下最大の勢力を持っていた。千葉市の卸売年間販売額は昭和四十五年に県全体の三三・七パーセントを占め、一、七〇八億円に達し、県下第二位である船橋市の卸売年間販売額(四六七億円)の四倍に近かった。千葉市の卸売商の勢力は群を抜いたものであった。年間販売額のうち、五〇パーセント以上の卸売年間販売額を占める都市は、県下の各市において、千葉市の五六パーセントのほか、木更津市の五四パーセント(三二七億円)がこれにつぎ、佐原市の五四パーセント(一三七億円)、東金市の五四パーセント(七二億円)、旭市の五二パーセント(八八億円)、銚子市の五一パーセント(二百億円)、館山市の五一パーセント(一七七億円)などである。したがって千葉市の卸売商圏は千葉市を中心として県北の台地一帯に拡がっている。商圏は西では船橋市、北では佐原市、東では東金市、南では木更津市などの卸売商圏と競合して、県下最大の卸売商圏をつくりあげている。
千葉市の卸売業は業種別にみれば著しい特色があった。卸売業が発達しはじめた昭和三十年代とその後の一〇年間に千葉市の全体的発展に対応して盛んになった業種とはかなりのちがいがあった。県下の卸売業のなかに占める千葉市の卸売業のシェアーは昭和三十七年に三一・六パーセントから昭和四十五年に三三・七パーセントと高まり、県下最大の卸売業の安定ぶりは一貫してつづいていた。しかし両年度を業種別にみれば、昭和三十七年度には特定の業種が高い割合を占めていたが、昭和四十五年度にはほかの業種も大きく発達した。昭和三十七年度において、機械・器具卸売業の年間販売額は全体の五一・三パーセントを占めて圧倒的に高いシェアーを維持していた。つづいて食料・飲料品卸売の一五・九パーセントが第二位であり、建築材料と鉱物・金属材料と農畜水産物などの卸売業はそれぞれ七・三パーセントであった。第一位の機械・器具卸売業は県下の七八・七パーセントも占めて、県下に君臨をしていた。これは半ば以上が自動車とその部品であり、残りの二分の一は通信機器と家庭電気器具であった。このころから県下のモータリゼーションが普及し、家庭に各種の電気器具がとりいれられた。市街の郊外に各メーカーの系列下の自動車販売会社が増加し、市街に家庭電気器具メーカーの営業所が進出した。年間販売額は大きくないが、県下に占めるシェアーの著しく高い卸売業種は、衣類身回品業の四八・八パーセントがあり、医薬品・化粧品業の三六・九パーセントなどがある。ことに医薬品卸売業は明治時代から老舗が多く、化粧品卸売業は各メーカーの営業所が千葉市に進出したからであった。
昭和四十五年の千葉市の卸売業は、年間販売額のなかのシェアーからみれば、機械・器具卸売業はやはり首位を占めているが、全体の二七パーセントに低下していた。卸売業のうちシェアーを高めた業種は鉱物・金属材料卸売業の七・六パーセントから一五・一パーセントへ、建築材料卸売業の七・四パーセントから一二・六パーセントへなどである。鉱物・金属材料卸売業は特に鉄鋼卸売の発展が主力であり、建築材料卸売業はビルディングや住宅などの建設ブームが反映していた。この二業種のシェアーの拡大によってほかの業種は軒並みに縮小した。千葉市の卸売業は全県下の中で、どの業種も一〇年間はそれぞれの業種がシェアーを高めた。昭和三十五年において県下全体の五〇パーセント以上を占めた業種は機械器具卸売業のみであった。しかし昭和四十五年になると、五〇パーセント以上を占める業種は、医薬・化粧品卸売業が五八・九パーセントで最高であり、つづいて衣類身回品卸売業が五七・二パーセントであり、機械器具卸売業の五六・八パーセント、更に鉱物・金属材料卸売業の五〇・三パーセントなどがあった。
商店数 | 従業員数 | 年間販売額(A) | 県全体の卸売販売額(B) | A/B | |
店 | 人 | 万円 | 万円 | % | |
卸売合計 | 506 | 7,388 | 4,861,579 | 15,335,588 | 31.6 |
(100.0) | |||||
衣類身回品 | 25 | 204 | 94,224 | 192,358 | 48.8 |
(1.9) | |||||
農畜水産物 | 54 | 374 | 358,221 | 3,466,388 | 10.3 |
(7.3) | |||||
飲料食料品 | 67 | 659 | 776,652 | 3,390,419 | 23.2 |
(15.9) | |||||
医薬化粧品 | 17 | 350 | 134,428 | 363,870 | 36.9 |
(2.7) | |||||
化学製品 | 18 | 134 | 37,872 | 165,188 | 28.9 |
(0.7) | |||||
鉱物金属材料 | 50 | 657 | 371.491 | 1,689,250 | 21.9 |
(7.6) | |||||
機械器具 | 122 | 3,891 | 2,497,463 | 3,170,507 | 78.7 |
(51.3) | |||||
建築材料 | 94 | 645 | 362,735 | 1,278,711 | 28.3 |
(7.4) | |||||
家具建具什器 | 13 | 112 | 45,698 | 190,343 | 24.0 |
(0.9) | |||||
その他 | 44 | 349 | 177,010 | 1,402,190 | 12.6 |
(4.3) |
商店数 | 従業員数 | 年間販売額(A) | 県全体の販売額(B) | A/B | |
店 | 人 | 万円 | 万円 | % | |
卸売合計 | 939 | 10,152 | 17,083,673 | 50,613,942 | 33.7 |
(100.0) | |||||
せんい品 | ― | ― | ― | 35,031 | ― |
衣類身回品 | 54 | 304 | 397,322 | 674,877 | 57.2 |
(2.3) | |||||
農畜水産物 | 71 | 573 | 1,436,004 | 11,003,386 | 13.0 |
(8.4) | |||||
食料飲料品 | 142 | 1,491 | 3,023,683 | 11,128,498 | 27.1 |
(17.6) | |||||
医薬化粧品 | 37 | 1,081 | 1,344,502 | 2,281,272 | 58.9 |
(7.8) | |||||
化学製品 | 26 | 354 | 398,730 | 889,132 | 44.7 |
(2.3) | |||||
鉱物金属材料 | 57 | 784 | 2,581,347 | 5,123,003 | 50.3 |
(15.1) | |||||
機械器具 | 233 | 3,333 | 4,613,916 | 8,114,273 | 56.8 |
(27.0) | |||||
建築材料 | 192 | 1,303 | 2,153,617 | 7,579,197 | 28.4 |
(12.6) | |||||
家具建具什器 | 37 | 265 | 280,613 | 774,117 | 36.1 |
(1.6) | |||||
再生産品 | 65 | 225 | 149,475 | 464,081 | 32.1 |
(0.8) | |||||
その他 | 45 | 429 | 704,469 | 2,547,075 | 27.6 |
(4.5) |
(『千葉県商業統計』)
しかしながら千葉市の卸売業は小売業の発展にくらべて劣っていた。卸売業は大部分が二次卸業であり、仕入先は東京都に多いが、生鮮食料品は県内から仕入れられている。販売先は県内一円にわたるが、主として千葉市内と市の南部と東部の諸地方に強い。卸売業者の販売先は小売店が平均一〇〇~一五〇店であり、かなり小規模分配というべき性格が強い。千葉市の卸売業の発展は数多くの阻止条件によって妨げられていた。店舗が商店街の中心部にあったり、ビジネス・センターの中に孤立していたり、官庁地区にあったり、住宅街にあったり、その中には都市計画によって立ちのきを要求されている店舗もあった。したがって店舗付近の街路は交通規制がきびしく、車両の増加によって商品の運搬・積下し機能が低下し、運搬時間がかかり、販売促進が阻害されていた。また卸売業者の倉庫は狭苦しく、数ヵ所に分散し、商品管理も積下し作業も困難であった。卸売業の事業拡張は望めない状態にあった。
これに対して、卸売業者は中央地区埋立地の流通センター予定地に千葉総合卸売団地を建設した。団地面積は、七万九千二百平方メートル、建設資金は二一億二〇六九万円であった。卸売業者の四七人が千葉総合卸売商業団地協同組合を結成して建設した。このうち食料品とこれに関連する商品の二〇業者の卸売業者がグループをなし、履物・寝具・衣類・文房具・事務機械・日用品雑貨などの独立した卸売業者も入りまじっている。このような卸売業者の団地づくりは流通機構を改善することに大きな効果があるだろう。