千葉市商業の商圏は昭和三十年代と昭和四十年代を比べると飛躍的に発展した。居住者の購買力を一〇〇パーセントとして商店街がこの購買力のうち吸収する割合が一〇パーセントまでの範囲を商圏としてみれば、千葉市商業の商圏は北総の台地から九十九里平野の南部や市原市・夷隅郡にまで広がり、千葉県全体の二分の一を占めていた。市町村の購買力の三一パーセント以上が千葉市に流出する範囲を商圏の第一次圏とし、二一~三〇パーセントが流出する範囲を第二次圏とし、一一~二〇パーセントが流出する範囲を第三次圏として、昭和三十九年の商圏をみれば六―六五表のようになっていた。千葉市の西部は第三次圏に入っていなかった。これは船橋市の商圏と競合し、更に東京商圏の範囲内であったからである。北総台地では富里村、印旛村などが商圏の限界であった。九十九里平野では中央部の東金市・成東町・九十九里町・蓮沼町・本納町などが商圏の限界であった。南部では市原市が商圏の限界であり、木更津市の商圏と競合した。この千葉市の商圏の中には、小地区商圏として佐倉市・成田市・東金市などの商圏があった。昭和四十年代になると、千葉市の商圏は広がった。昭和三十年代に第三次商圏に入らなかったほどの、購買力が数パーセントしか流出しなかった市町村はほとんど第三次商圏にくりこまれた。かつて第二次商圏であった佐倉市・成田市・東金市は購買力が三〇パーセント以上も流出して第一次商圏となった。これらの都市は購買力の流出を少なくするために、商業者はそれぞれの中心商店街の再開発を検討しなければならなかった。
西部 | 北総台地 | 九十九里平野・安房 | 南部 | 安房 | |||||
% | % | % | % | % | |||||
4.5 | 64.6 | 50.0 | 37.5 | 1.3 | |||||
6.1 | 29.6 | 21.1 | 3.0 | 2.0 | |||||
8.4 | 12.3 | 18.2 | 8.3 | 0.8 | |||||
1.5 | 22.0 | 12.6 | 3.3 | 1.2 | |||||
33.7 | 18.6 | 2.7 | 0.7 | ||||||
10.5 | 21.3 | 1.5 | 0.6 | ||||||
10.3 | 9.9 | 1.7 | |||||||
0.4 | 18.6 | 2.8 | |||||||
1.7 | 8.7 | 3.4 | |||||||
1.0 | 5.6 | 2.1 | |||||||
2.5 | 7.6 | 0.7 | |||||||
3.0 | 0.9 | ||||||||
0.3 | 1.0 | ||||||||
0.7 | 6.3 | ||||||||
1.1 | 0.9 | ||||||||
0.5 | 2.0 | ||||||||
0.6 | 1.8 | ||||||||
0.1 | 7.6 | ||||||||
7.5 | |||||||||
4.2 | |||||||||
8.6 | |||||||||
16.6 | |||||||||
11.5 | |||||||||
3.7 | |||||||||
7.6 | |||||||||
6.0 | |||||||||
5.1 | |||||||||
3.5 | |||||||||
7.3 | |||||||||
8.3 | |||||||||
5.6 | |||||||||
(県中小企業指導所調査)