物資の移動

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 千葉市の人口が急増するにつれて物資の消費は大量になっていく。これらの物資は鉄道、トラックなどの陸上輸送、公共埠頭への荷上げという海上輸送によって送られる。流通機構が複雑で多様化している現在、そのすべてを把握することは難しい。そこで、千葉駅を主とした鉄道貨物と海岸埋立地の問屋町にある千葉市中央卸売市場を例にして、物資の流入を主にみたい。

 千葉市域にある国鉄各駅のうち、荷物取扱い、車扱貨物、小口扱貨物を営業しているのは幕張、稲毛、千葉、蘇我の四駅である。浜野駅は数年前までは取扱い駅だったが、昭和四十五年現在、とりやめている。昭和四十年と四十五年の貨物発着数量を、千葉鉄道管理局の資料によって比較すると次のようになる。昭和四十年、浜野駅を含め五駅の合計で、千葉市内に鉄道で到着した貨物は一〇二万八九五六トンである。そのうち蘇我駅到着は八五万五一八六トン、全体の八三パーセントでほかの駅を大きく引きはなしていた。次の千葉駅は一一パーセントである。また、発送貨物は全体で三八万九三六一トンで到着貨物の方が圧倒的に多くなっている。また、駅別にみても、蘇我駅の比率は八六パーセントで、千葉市域の貨物の代表的取扱い駅となっている。五年後の昭和四十五年は、四駅になっている。到着貨物は六一万六五八四トンで五年前にくらべ六〇パーセントに減少した。また、発送貨物は四四万八二二七トンで一五パーセントの増加率を示した。蘇我駅は到着で六九パーセント、発送で七九パーセントを占め依然として貨物取扱い駅の特徴をもっている。これは、工業地帯に隣接するためで、鉱産品、金属機器工業品、化学工業品などが圧倒的に多くなっている。そこで、千葉市民の生活に直接関係ある物資を比較的多く取り扱う千葉駅を例に若干みてみたい。昭和四十五年における千葉駅の貨物取扱い量は、一四万二六〇二トンである。このうち、到着は一〇万二九七五トンで七二パーセントになって消費量が上まわることを示している。到着貨物の中では小口扱貨物が多く、二七パーセントを占めている。次いで、化学薬品、飼料、酒、ビール以外の食品工業品、米、化学肥料などが五千トンを上まわるものである。また、発送貨物は酒、ビール以外の食料工業品が全体の三四パーセントを占め、ほかに目立ったものはない。

 千葉駅の貨物輸送報告から行先別使用車数をみると、昭和四十二年に二、六六五車両、昭和四十五年に三、三三八車両となって増加している。しかし行先別にみると、増加しているのは、東北が三・三倍の八一五車両、関西が三・六倍で三八一車両、あと北海道、新潟、中部などの各支社方面である。これに対して減少したのは、関東支社方面で約四〇パーセントの減少で一、一五九車両である。昭和四十二年には全体の六一パーセントが関東支社方面だったが、昭和四十五年は三五パーセント弱になってしまった。中でも東京、千葉両管理局内の減少が目立ち、四五パーセントも減少した。これは、中・長距離輸送では依然鉄道に依存しているが、近距離輸送は機動力のある自動車輸送に蚕食されてきたと考えられる。人口増加、都市の再開発、周辺地域の変貌と千葉市は生活必需物資、建設用資材など、年々大量の消費をしている。近年までは鉄道貨物輸送がその主力だったが、現代は海上輸送とともにトラック輸送の比重が著しく高くなった。鉄道貨物の発着数量の推移をみるとき、停滞気味であり、あるいは減少傾向の駅がみられることは、流通機構の変化と輸送手段の転換を意味していると考えられる。

 次に、千葉市中央卸売市場の青果、水産物の取扱い状況を「年報」(各年、千葉市中央卸売市場)によってみたい。

 千葉市中央卸売市場が開設されたのは昭和三十六年七月である。当時一万八千五百平方メートルであったが、その後、敷地、建物を拡大し、現在、三万五〇二八平方メートルの敷地と卸売場のほか一六棟の建物がある。取扱い品目は青果物部と水産物部からなり、前者は昭和三十六年から業務を開始し、蔬菜、果実、きのこ、鳥の卵、並びにそれらの加工品を取り扱う。後者は昭和三十七年に業務を開始し、生鮮水産物及び加工水産物並びに海そう類及び加工品を取り扱う。場所はいずれも問屋町である。

千葉市中央卸売市場
6―45図 青果物・水産物の入荷量の推移

 両者の統計のそろう昭和三十八年からの取扱い数量と売上金額の比率をみると次のようになる。

 青果物

 年別      数量(トン)        比率

 三十八     一万六八九六        一〇〇・〇

 四十      一万八八三二        一一一・五

 四十二     二万五九七七        一五三・八

 四十四     三万三〇三三        一九五・五

 四十五     三万三七一九        一九九・六

 年別      金額(千円)        比率

 三十八      四億九五九三万七      一〇〇・〇

 四十       七億九〇〇七万〇      一五九・三

 四十二     一二億七七七七万二     二五七・七

 四十四     一八億五九九九万七     三七五・一

 四十五     二三億九四六五万〇     四八二・九

 水産物

 年別      数量(トン)        比率

 三十八      六一九二         一〇〇・〇

 四十       八〇八四         一三〇・六

 四十二    一万〇一一一         一六三・三

 四十四    一万一八三九         一九一・二

 四十五    一万二四二三         二〇〇・六

 年別      金額(千円)        比率

 三十八     七億四七一九万一      一〇〇・〇

 四十     一二億〇六五五万四      一六一・五

 四十二    一七億一七二二万五      二二九・八

 四十四    二五億三四八三万二      三三九・三

 四十五    三〇億九九九三万八      四一四・九

 青果物、水産物とも七年間に数量において約二倍の取扱い量になり、金額においては物価上昇もあるが四倍以上になった。これらの物資は千葉市内、千葉県内はもとより、日本各地から入荷されている。大部分はトラックやオート三輪車によって輸送されるが、一部は千葉港中央地区の公共埠頭から荷揚げされたり、東京の市場と取引きしたりしている。この中央卸売市場へは毎日市内の小売店から人が集まり、セリをしているが一年間に三百日余り開市されている。もちろん、千葉市内すべての青果物、水産物を取扱うわけではないが、年々増加する入荷量をみるとき、その重要性は次第に増してきている。例えば、昭和四十年において、蔬菜一人当たり年間消費量は八一・五キログラムである。この市場での取扱い数量は一、五三八万一二五六キログラムであるから、一八万八七二七人分の蔬菜を取扱ったことになる。昭和四十年十二月末の千葉市人口は三三万五七三一人であるから、千葉市人口の約五六パーセントに当たる蔬菜は、この中央卸売市場からでたことになる。同様にして、一人当たり年間消費量が多くなっていることを見込んでその入荷率をみれば、昭和四十二年は六三・八パーセント、四十四年は六一・八パーセント、四五年は、二、五八六万五九九七キログラム入荷、千葉市人口十二月末で四九万三七七一人で、一人当たり年間八七キログラムとして六六パーセントになる。果実の場合は、昭和四十年二五パーセント、四十五年は取扱量七八五万三〇三八キログラム、一人当たり年間五七キログラムの消費で二八パーセントである。また、水産物は、昭和四十年に七九パーセント、四十五年は取扱量一、二四二万三〇三四キログラム、一人当たり年間三一キログラムの消費で八一パーセントの入荷率になる。

 ここで、主要入荷物資について、昭和四十五年度の場合を例にして、どこから物資がくるかを地域的にみよう。

 蔬菜は、その入荷量において最も多いのは白菜である。次いで甘藍、大根、西瓜、きゅうり、玉ねぎ、長ねぎ、馬鈴薯、トマト、にんじんになっている。白菜は約三九五万キログラムの入荷であるが、多くは千葉県内から供給され、全体の約六七パーセントを占め、次いで長野、千葉市内、群馬、茨城となっている。甘藍は、千葉県内、千葉市内、長野、群馬の順である。大根は千葉県内、千葉市内、山梨、西瓜は千葉県内、千葉市内、山形、茨城、きゅうりは千葉県内、千葉市内、福島、高知、玉ねぎは北海道、兵庫、和歌山、千葉県内、長野、台湾、愛知などである。蔬菜全体でみると、千葉県内が五七パーセントで第一位、千葉市内が二七パーセントでそれにつぎ、千葉県全体から八四パーセントがはいっている。以下、北海道、長野、群馬、兵庫、福島、和歌山、東京、高知などが続く。近郊野菜の比率が高く、それに、冷涼・高冷地からの入荷も多く、また、温暖な促成野菜や特産地からもかなりの入荷がある。

 果実で、最も多いものはみかんで、全体の四三パーセントに当たる三三五万五二七六キログラムを入荷している。次いで、バナナ、りんご、梨、夏柑、桃、いちごとなっている。みかんは一六県以上からの入荷があり、愛媛が全体の六四パーセントで第一位、次いで、神奈川、和歌山、佐賀、熊本、山口、福岡、大分と続き、西日本からの入荷が目立っている。しかも、栽培時期との関係で競合関係にあることがわかる。バナナは、台湾、南米、フィリッピンで国際関係の変動で相手国は変わりやすい。りんごは国光が多く、青森、長野、山形、紅玉は山形、長野、青森、スターキングは山形、青森で、青森、長野、山形三県が大部分を占め、千葉市への入荷時期をそれぞれ調整している。梨は長十郎が千葉県内、茨城、二十世紀が千葉県内、長野から入荷し、夏柑は愛媛、千葉県内、桃は山梨、千葉県内、いちごは千葉県内、栃木、千葉市内からそれぞれ入荷する。

6―46図 千葉市にはいる「みかん」(1970年)

 水産物は、全体の一九パーセントを占めるばちが最高で、以下、さば、あじ、いか、かつお、かじき、あさり、めかじき、さんま、かれいの順である。ばちはほとんどが神奈川からの入荷で千葉県、東京がわずかにある。さばは千葉、東京、あじは東京、千葉となっており、全体的に、千葉、神奈川、東京の順になっている。これは市場間の取引きによる結果である。

 五〇万都市から間もなく一〇〇万都市になろうとしている千葉市は、それに伴って物資の消費量も倍加する。一人当たりの消費量が伸びている現在、倍以上になるはずである。ここで消費される物資は日本国内各地から集められ、また、外国からも輸入される。人の動きとともに、物資の流通は市民生活にとって一つの重要な柱になる。公共埠頭の役割りも大きくなる一方、輸送がモータリゼーションの進展と、流通機構の変化、特に生鮮物資の迅速な輸送の必要などから、鉄道貨物輸送からトラック輸送に切りかえられた。これの円滑さを図るためにも道路の整備は、根本的な問題である。