これらの団地人口の出身地は、昭和四十四年調査によれば千葉県内が五七パーセントでもっとも多く、東京が三〇パーセントで第二位である。その他は関東地方、関西地方、中国・九州から北陸・東北地方の各県にひろがっている。また団地人口の勤務地は、千葉市が四七パーセント、東京が四〇パーセントで圧倒的に多く、そのほかは京葉地帯の市原市・習志野市・船橋市・市川市などが一~三パーセントである。しかし、住宅団地の位置によって団地人口の出身地と勤務地が大きく変わっている。千葉市の中心市街より南部の住宅団地では、団地人口の出身地は千葉県内が七一パーセントも占め、東京は一八パーセントに低下している。その勤務地は、千葉市が六一パーセント、東京が二五パーセントである。これに対して、東京通勤に便利な中心市街から北部の住宅団地では、団地人口の出身地は、千葉県内は二八パーセントと低下し、東京が五六パーセントも占める。またその勤務地も千葉市内は一九パーセントであるが、東京は実に七二パーセントに達する。中心市街より北部の住宅団地は、東京通勤者の集団住宅地であり、千葉市域内にある東京住宅街の飛地のようである。
出身地 | 南部の団地 | 北部の団地 | 団地全体の平均 |
% | % | % | |
千葉県 | 70.6 | 28.3 | 57.6 |
東京都 | 18.1 | 56.5 | 30.1 |
埼玉県 | 1.9 | 2.4 | 2.0 |
神奈川県 | 2.7 | 5.3 | 3.5 |
茨城県 | 0.3 | 0.3 | 0.3 |
栃木県 | 0.1 | ― | 0.1 |
群馬県 | 0.1 | ― | 0.1 |
静岡県 | 0.4 | ― | 0.2 |
愛知県 | 0.3 | 2.4 | 0.9 |
新潟県 | 0.4 | 0.3 | 0.3 |
富山県 | 0.1 | ― | |
岐阜県 | 0.5 | 0.1 | |
大阪府 | 0.4 | 0.9 | 0.5 |
兵庫県 | 2.1 | 0.3 | 1.5 |
岡山県 | 0.1 | ― | 0.1 |
鳥取県 | 0.6 | ― | 0.1 |
山口県 | 0.3 | ― | 0.2 |
福岡県 | 0.4 | 0.6 | 0.4 |
熊本県 | 0.1 | ― | 0.1 |
長崎県 | 0.1 | ― | 0.1 |
宮崎県 | 0.1 | ― | 0.1 |
大分県 | 0.1 | ― | 0.1 |
鹿児島県 | ― | 0.6 | 0.2 |
岩手県 | 0.1 | 0.3 | 0.1 |
宮城県 | 0.1 | ― | 0.1 |
福島県 | ― | 0.3 | 0.1 |
山形県 | 0.4 | ― | 0.4 |
秋田県 | 0.3 | ― | 0.2 |
青森県 | ― | 0.3 | 0.1 |
北海道 | 0.3 | 0.9 | 0.4 |
南部の団地 | 北部の団地 | 団地全体 | |
% | % | % | |
千葉市 | 61.3 | 19.1 | 47.3 |
市原市 | 3.8 | 2.3 | 3.4 |
習志野市 | 1.6 | 1.2 | 1.4 |
船橋市 | 2.4 | 1.4 | 2.1 |
市川市 | 1.1 | 2.9 | 1.6 |
その他県内 | 5.0 | 0.9 | 3.8 |
東京都 | 24.8 | 72.2 | 40.4 |
千葉市には公的機関による住宅団地は三一ヵ所が既設であり、更に七ヵ所が計画されている。これらの住宅団地は既設分だけでも、戸数は約五万戸、人口は約二〇万人に達し、住宅団地の建設がはじまる以前の昭和三十年の千葉市の総人口の約二〇万人に匹敵している。更に計画中の住宅団地は、戸数が約八万八千戸、人口が約三二万五千人である。千葉市の人口は一般的な市街地人口より住宅団地の人口が多くなってきた。千葉市の都市問題は、一般市街地を対象として考えることだけではすまされなくなった。千葉市のあらゆる問題について、住宅団地の観点から考えることが重要になってきた。そのためには、市政の重要対象の一つとして住宅団地の特性や都市における意義についてじゅうぶんに調査することが必要である。
住宅団地は大都市の通勤圏内には多数造成されている。東京周縁には二百近くの大小の住宅団地があり、その一部が千葉市に造成されている。しかも、千葉県、特に千葉市には大規模な住宅団地が多いことが特色である。住宅団地は外部とまったく異質な集団で、団地周辺と漸移的に移行していない。大海に浮かぶ島のように平地林や畑の中に建設されている。いままで人影もなかった台地の上に、千数百世帯から数千世帯、人口が数千人から数万人の大集団がとつぜんに出現してくる。この大人口集団が、県内各地や東京から千葉市へ転入してきた人々である。この大量の転入者からなる人口集団が短時間に形成されて定着するという現象から、団地問題が多角的に尖鋭に提出される。住宅団地は外部に対してまったく異質であるが、団地内部は等質な集団である。団地の人人には老人層や青年層が極端に少なく、若夫婦と子供だけの集団で核家族が大部分である。人口の年齢構成はピラミッド型ではなく、アブノーマルな年齢構成となっている。年齢が三〇歳から四〇歳層が半ば以上であり、世帯主は東京の大企業や中企業に勤めるホワイト・カラーが多く、収入は一般的水準より高く、学歴も高く、日本社会の新中間層といわれる人々である。団地の世帯の家計支出は、エンゲル係数が高く、住居費も大きい。また教育費も多く、子弟の教育には熱心である。食費、住居費、教育費が一般家庭より高いので被服費、雑費などは圧縮されている。貯蓄率も高いのは賃貸住宅に居住している人々で、郊外の庭つきの家を建築しようという計画を持っている人々である。団地主婦の消費者行動は、最寄り品を団地商店街から、買回り品と贈答品を東京の百貨店から購入する。したがって、地元の中心商店街からの購入は多くない。消費者は王様とか神様とかいわれる時代に住宅団地の主婦は、王様のなかの王様であるから、中心商店街が近代化しなければ団地主婦にとって魅力ある商店街とはなれない。
住宅団地の人々の社会意識もまた特色がある。住宅団地の人々は、近隣の交際よりプライバシーを重視する。その交際範囲は高層建築住宅ならば同一階段を利用する各階の人々が単位となり、それもあいさつするだけとか世間話をするだけの程度が多い。交際範囲は、むしろ団地に移住する前の前住地の人々との交際が多い。このように近隣相互の交流が少なく、人間疎外が強いので、PTAの会合とか、小集団のサークル活動を組織する。趣味や教養などを中心としたサークルが多数あって住宅団地の集会所は、使用するサークルによって日程がぎっしりつまっている。住宅団地に町内会や自治会が必要であるという考え方と、そのような組織は不要であるという考え方が対立している。自治会が一つできると別の自治会もまたできあがる。小都市の人口、世帯数ほどもある住宅団地は一つの自治会でまとめにくい。住宅団地は必要最小限度の施設と快適な街路からなり、団地全体の共同努力で解決しなければならないという問題は団地内には少ない。したがって、住宅団地に対する共通な責任感や使命感はうすく、各地からの転入者の集合であり、団地生活の歴史も短い。そのために、集団意識はいまだ強化されない。しかし、住宅団地が外部に対しては強力な集団行動をとることがある。市当局に対して教育問題、バス会社に対して通勤バス路線の問題などである。住宅団地の集団はかなり流動的である。建売り住宅からなる団地はそうではないが、賃貸住宅の団地は入居者の転入、転出が多い。住宅団地に入居するには高い競争率に勝ちのこって入居できたというのに意外の感がある。郊外に一戸建ての住宅を構えたから、また他の都市へ転任するから、また生活上の悩みが多くて住みにくいからという理由などで移動する。
住宅団地にはコミュニティが存在するか、あるいは存在すべきかは多くの人々の考え方がある。住宅団地に地縁的な人間関係を重視し、出身地が全国的に散らばっていて、氏神も寺院もない、子供たちのために盆踊りやお祭の樽みこしをかつがせようという感傷や郷愁を持つ人々もある。しかし、これはコミュニティをつくろうという初期の動向である。子供がコミュニティの中で生れ、育ち、その中で社会体験をしていくことの重要性を考える人々である。これに対して、プライバシーを守り、人間関係というセンチメンタリズムはやめて、団地内には学校・商店・病院・バスセンター・駅・郵便局・銀行支店などの最小限の施設さえあればよいという人々もある。これらの考え方も分譲住宅の団地と賃貸高層住宅の団地とではかなり異なり、前者はコミュニティをほしがり、後者はあまり必要としていない。
住宅団地は千葉市においては中心市街から数キロメートルも内陸の円周上に点在している。団地造成の設計に、生活へ自然と緑をとりこむ空間構成の考え方がないから、樹林を切りはらった平坦地に宅地の集団となっている。大都市から太陽と緑と新鮮な空気を求めて入居して集団をつくった。この住宅団地は住宅都市での一般的な意味での都市でもない。あくまでもこれは住宅街である。住宅団地は、高度経済成長期における都市の拡大にみられた形態である。都市が拡大していく過程の年輪である。中心市街の周縁に点々と大規模な住宅団地がある都市が都市形態として完成するには、中心と団地を結合する、都市交通の完備が必要である。同時に住宅団地には東京勤務者が多くなるが、単なる東京住宅街の飛地となることに終わらず、中心市街と社会的にも経済的にも文化的にも一体化することが必要である。