農業の都市化

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 都市の商工業が発展すれば、市域の農業にいかなる影響を及ぼすか。都市の発達から農業振興に期待する影響はいかなるものであるか。この問題は工業開発の波及効果が農業にいかにあらわれるか興味ある視点である、しかし、現実には千葉市の商工業には都市の発展が著しいものがあるにもかかわらず、千葉市の農業は衰退し、つねに農業振興についての対策に悩まされている。農業はなるようにしかならぬというあきらめムードで対策がないままに放任されがちである。今日、農業は経済上の問題ではなく、都市住民に対する縁地保全とか、あるいは都市住民に土に親しむ機会を与える場所を提供するとか、観光農園の経営などの問題にすりかえて、これを農業対策としている傾向がある。

 都市が発展すれば、都市周縁の普通農業地域は近郊農業地域に上昇して農家所得は増加すると期待された。また兼業農家は脱農して都市の商工業の雇用労働市場の拡大によって移動し、専業農家の経営耕地の規模拡大がすすんで、農業は近代化すると考えられた。工業開発は農業をも近代化できる手段であるという期待があった。

 昭和三十五年の作付面積と昭和四十五年のそれをくらべると、千葉市の農業は普通農業から近郊農業へ上昇しなかった。いねの作付面積と、畑の裏作である麦類の作付面積の、大幅な減少が特徴的である。ことに、かんしょ、ばれいしよの作付面積が極端に減少した。近郊農業の特色である野菜の作付面積は三八パーセントも増加したが、その主力は根菜であった。だいこん・かぶ・ごぼう・にんじん・しょうが・さといも・らっきょう・たまねぎ・ねぎなどの根菜は、近郊農業の外縁地帯の作物である。近郊農業地帯の核心地は葉菜類が多く、これに果菜類を加える。千葉市は一〇年間を要して畑面積の三分の一を野菜畑にできた。それよりも大幅に増加したのは落花生であり、昭和三十五年に畑の三三パーセントに作付されていたものが、昭和四十五年に五九パーセントに作付が増加している。夏の畑作は野菜が三分の一、落花生が三分の二を占めている。近郊農業地帯の松戸市・市川市・船橋市は野菜畑が大部分であって、落花生は数パーセント、その他も十数パーセントである。

6―86表 千葉市の農業の作付面積の変化
年度いね麦類かんしょ
ばれいしょ
まめ類合計野菜類
果菜
根菜葉菜工芸作物
種類
昭和35年1,932ha2,764ha1,590ha93ha865ha256ha283ha324ha1,224ha
昭和45年1,7901,642204801,1952636203122,141
45年/35年92.6%59.4%12.8%84.2%138.1%102.7%219.0%96.2%174.9%

 昭和三十八年の「千葉県地域農林業計画」は県内の各地域別の農業生産力を述べ、千葉市について次のように指摘している。

 (千葉市の農業は)労働生産性、土地生産性ともに県平均を二〇パーセント近くも下回り、農家階層別にみていずれの階層も県平均を下回り、特に下層農家には生産力低下がはなはだしく、千葉市は生産力水準の劣った地域とみられる。この地域が最近における急激な工業化の中心的な地域及びその背後地であっても、従来は純農村的な地域であったが故に、農業経営も部分的には、集約化の方向をたどっているものの、一般的にはいまだ普通作中心の経営であって、最近の急激な都市化・工業化に十分に対応しきれない地域であることが、このような生産力水準の低さとなって現われている。

 この報告は農業生産力の低下を認めていることは正しいが、「最近の急激な都市化・工業化に十分対応しきれない地域」と考えることは誤っている。この考え方の根底には、都市化・工業化によって普通農業地域は近郊農業地域に上昇するという期待をかけて、そのようにならないのは「十分に対応しきれない」からだと誤った判断をした。急激な都市化・工業化の中心地域や背後地では農業生産力が低下し、野菜畑があまり増加せず、落花生畑が激増するのは当然の方向である。県政も市政も都市化・工業化には多く財政を投資しているが、これに対応する農政には近郊農業に上昇しようとする農家を発展させようとする近郊農政は貧弱であり、その中にあって、農家が所得を増加させるために都市化・工業化に対応したので、農業からみれば生産力の低下となったのである。農業にとって都市化・工業化は「両刃の刃」である。これらの作用は農業にとってプラスの面とマイナスの面とがある。プラスの面として、商工業部門の雇用増加による農業過剰就業の改善、農産物の需要の増加と高度化、道路・通信などの公共施設の充実、文化・教育、その他の社会的サービスの水準が向上し、このサービスをうける機会が増加することである。マイナスの面は、資質のすぐれた労働力が農業から流出して農業労働力が劣弱化すること、地価の騰貴により経営規模が拡大できなくなること、農地が他目的転用の増加によって一まとまり耕地が虫くい状態になって農業経営を破壊していくこと、農業用水系統や排水系統が他目的転用によって破壊されること、農家の所得を増加させるために建設業等に臨時工として通勤し、農業は「荒しづくり」となること、農地の地価値上りで土地を投機の対象として「土地持ち労働者」に農家が変わっていくことなどである。

 千葉市の農業には都市化・工業化のプラスの面が十分に発現しないままにマイナスの面が強く作用した。このことから、千葉市の農業生産力が県下平均の二〇パーセントも下回る結果となった。千葉市の職業安定所を通して就業する日雇労務者は、昭和三十五年をはさんで前後十ヵ年に、最大の年は約七〇万人、建設業に約三五万人、製鉄業に約二〇万人、その他の輸送関係に約一五万人であった。このほかに、職業安定所の窓口を通さずに就業する日雇労務者もまた多い。これらの日雇労務者の供給源は農業労働力である。大量の農業労働力が流出するので、労働集約的な近郊農業に発展することができず、労働時間の短い落花生栽培がひろがった。上層農家は機械化によって省力農業を行って日雇労務者となり、第二種専業農家である下層農家は、全面的に日雇労務者となった。これらの農家階層に落花生作付が増加した。中間層は日雇による所得の増加はできず、野菜作付を増加して農業収入を増加させた。一般に農家が脱農しようとしないのは農家所得の増加が農業外収入に依存する部分が多くとも、それは不安定賃金の日雇であることによる。しかも、将来に専業農家として伸びようとする農家は二〇~三〇パーセントはいる。農家の「あととり」が他産業に就業した数は全体の七〇パーセントも占めるが、これらの農家では、「あととり」が基幹労働力となっている。近郊農業に発展する条件は熟し、脱農する過程にある農家もしだいに色分けできるようになってきた。これからが近郊農業の振興策を打ちだして、千葉市の農政を確立すべきときである。その農政を千葉市の都市人口に対する環境保全とか緑を守るという方向にすりかえないで、真正面から近郊農政にとりくむことが重要であろう。