工業港の発達と商業港の芽生え

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 将来の千葉市を大きく特色づける都市機能は港湾都市である。現在の千葉港でも日本第四位の大型港湾である。それにもかかわらず、千葉市は港湾都市としての市民感情も希薄であり、市街地と港湾区域との結合は少なく、市民経済と港湾経済との関連性はあまりない。しかし将来は「われわれの港湾」として市民は港湾都市であることを誇り、港湾経済と市民との関連は強くなるであろう。

 千葉港は特定重要港湾である。昭和四十五年において、出入した船舶の隻数が七万三千七百隻、そのトン数六、五四四万トンであり、日本第七位にあり、横浜港・神戸港・名古屋港・北九州港・大阪港・川崎港などに次いでいる。出入した貨物からみれば日本第四位を占め、横浜港・川崎港・神戸港に次いでいる。ここにあげた諸都市は、港湾都市としてのイメージが強いが、千葉市にそれがないのは、現在の千葉港は工業港が主なる機能であり、商業港としての機能が小さいからである。千葉港の輸出入貨物からみれば工業港の千葉ということがよくわかる。昭和四十五年の貨物取扱量は八、九一〇万トンであり、このうち外国貿易は四、八二九万トン、内国貿易は三、五六七万トンである。これらの七四パーセントは輸入貨物であり、千葉港は圧倒的に輸入港である。この輸入貨物のうち七四パーセントは鉱産品で原油・鉄鉱石・石炭などである。一一パーセントは金属機械工業品、一一パーセントは化学工業品である。また輸出貨物のうち、化学工業品は六四パーセント、金属機械工業品は三一パーセントを占め、これは鉄鋼・石油と石油製品などである。これらの貨物は臨海部の製鉄工場や石油精製工場の製品であり、それらの工場の専用埠頭から直接につみだされている。この輸出入貨物から千葉港は石油港湾・鉄鋼港湾と呼ばれている。

 千葉港の港域は東京湾にしだいに広げられ、現在は千葉市の海面を中心として東には浦安町まで、南は袖ケ浦町まで延びている。このうち、千葉市の南の市原市・袖ケ浦町までは工業港であり、臨海工業地帯をなす巨大工場の専用埠頭となっている。千葉市から西は海浜ニュータウンと、習志野市・船橋市・市川市・浦安町の地先に着工されている京葉港(葛南港)である。京葉港には工業港が習志野・市川の地先海面に造られ、船橋地先海面には商業港が造られる。千葉市の地先海面に、現在造成している港湾は「千葉港中央地区」とよばれる中央公共埠頭(商業港)を中心とする地区である。この「千葉港中央地区」は総面積六一〇万平方メートルであり、六一パーセントは工業用地、一六パーセントは住宅団地、一一パーセントは商業用地、残り一二パーセントは港湾用地であり、この地区全体に約五万七千人の人口が居住する計画である。この中央地区は一万五千トン級一七バース、五千トン級六バース、二千トン級一四バース、五百トン以下の荷揚場が一、一八七メートルであり、現在は一万五千トン級三バースと上屋三棟が完成している。

 東京湾には横浜港・川崎港・東京港・横須賀港などの港湾と千葉港があり、将来、京葉港と木更津港が整備される。これらの東京湾諸港は、昭和四十年に貨物二億トン、四十五年に三・五億トンを取扱い、五十年に四億トン、六十年に八億トンを取扱うと推計されている。このうちの四億トンは横浜・川崎・東京諸港が分担し、残り四億トンは千葉港・木更津港が分担することになる。千葉県や千葉市の長期計画には昭和六十年に三億五九〇万トンを千葉港が分担し、そのうち二億九一九〇万トンを千葉港区(千葉市・市原市・袖ケ浦町)が、一、一一五万トンを京葉港区(習志野市・船橋市・市川市)が分担することになっている。したがって、千葉港の貨物は昭和四十五年にくらべて昭和六十年には三・五倍となるそのためには港湾用地として更に埋立地が必要であろう。特に工業港としての伸びより商業港の機能がよく伸びて、公共埠頭の拡大が行われ、昭和六十年ころには千葉港は現在の横浜港の三倍の貨物を取扱っているであろう。

6―57図 千葉港,木更津港整備計画

 このような千葉港になるためには、外貿の不定期船が寄港する段階から定期船も就航する段階まで港格を高める必要がある。そうすれば、世界のライナーポートとして貿易・流通の拠点となるだろう。そのために千葉市の都市形成、道路・鉄道などの陸運との結びつきが考えられる。また東京湾諸港間の物資流通のために湾岸道路・湾岸鉄道や東京湾横断堤・東京湾横断橋も必要である。港湾業務地として商社・倉庫業・輸送業・官庁が集中する。更に貿易関係や宿泊関係のサービス施設やレジャー施設なども立地することになる。このような港湾地区と中心商店街との結合は、昭和六十年代までに中心商店街の発展に大きなインパクトになるだろう。また千葉港のヒンターランドは、千葉県の北半部から茨城県・栃木県・埼玉県東部に及び、公共埠頭において輸出入に関係あるこれらの内陸諸県からの業者の各種の事業所・事務所が港湾地区とその周辺の市街に立地し、市街の発達に大きな変化を与えるであろう。

6―58図 昭和60年の東京湾諸港
6―59図 東京湾交通体系予定図