施設の建設

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 三十年初期の千葉市の建物をみると、まだ貧弱なものであった。高層ビルに値するようなものは、何一つなかった。鉄筋(鉄骨ではない)コンクリートのビルといえば、千葉県庁旧館(改築前)の三階建てのほか千葉大学付属病院、千葉銀行本店(現中央支店)、三菱銀行千葉支店(現市役所中央地区市民センター)、教育会館(改築前)ぐらいのものであった。国鉄千葉駅も木造の平家であったし、商店街もせいぜい木造の二階建てがほとんどであった。ましてマンションや高層の公営住宅などは一つもなかった。

 三十七年三月になって京成千葉駅と京成ホテルのそばに、住宅供給公社が建設した下駄ばき住宅(三階以上が住宅=一二三戸、地下一階と地上一・二階が商店街と貸事務所)が完成したときは市内最大のビル完成と各種新聞や『市政だより』に報道されたほどである。

京成の下駄バキビル

 もっとも、その前に面積こそそう大きくはないが、奈良屋百貨店(現セントラルプラザ)が五階建てになっている。五階はわずか一六〇平方メートル(約五〇坪)という建て物であったが、これが当時としては、一番の高層建築であった。それ以後は、日を追うごとに高層化へ急ピッチで歩み出したのである。また扇屋百貨店も三十四年に一部を六階建てにしたが、同デパートが今日のように大きくなったのは、四十一年、四十七年の二回にわたる増築によるものである。

 まず前記下駄ばきビルのほか、京成千葉駅が三十三年六月に移転完成したのをきっかけに、国鉄千葉駅及び駅ビルなどが三十八年四月に完成して市の核ができたことによって、これを中心に本格的な都市づくりが始まったといえる。

 国鉄千葉駅ができた当時、同駅周辺はさびしいもので、付近はまだ雑草が生い繁り「これが国鉄千葉駅か」と嘆かせたほどであった。しかし四十年九月一日に塚本総業の大千葉ビルディングができるに及んで付近にぞくぞく高層ビルが立ち並んだ。都市銀行の支店、千葉相互、千葉興業の両銀行、吉田興業ビルなどである。東電千葉支店はその前にできていた。

 そのほかの高層ビルといえば県庁舎が三十七年に完成している。地下一階、地上九階、一部塔屋三階(当時市内で九階建ては初めて)、ついで文化会館、県立中央図書館、スポーツセンター、教育会館、都市開発局駐車場ビルなどである。

 文化会館は四十二年三月に九億円の予算で完成したものである。ついで四十三年八月に県立中央図書館が造られたが、市でも小中台の北部図書館をはじめ、各所に図書館の建設を推進している。教育会館は四十六年に完成した。

 更に四十七年にがんセンターが仁戸名に完成したのをはじめ、四十八年三月には都市開発局の手によって大駐車場ビルが完成した。また、伝統を誇ってきた千葉大学付属病院(昭和十二年に建築)も老朽化に伴って現病院裏側に新築することになり、四十八年三月に着工し、五十年に完成させることになっている。完成すれば地下二階、地上一二階の堂々たる大付属病院が実現することになる。以下市内の主な施設などの完成を年代順にあげてみる。

 ▽三十三年 国鉄本千葉駅、京成千葉駅、緑中、院内小、新宿小、本町小の大講堂、宮野木の一部と誉田町一丁目の無電灯部落解消。

 ▽三十四年 電話が手動式から即時方式となる。東電千葉火力発電所の全工事、中央卸売市場、放射線総合医学研究所。

 ▽三十五年 稲毛駅東口開設、蘇我――本千葉間の複線、千葉公園の市営プール。

 ▽三十六年 商工会議所ビル、村田のし尿処理場、京成ホテル、消防のハシゴ車、千葉港に四万トン船入港、稲毛海岸の埋立(起工)。

 ▽三十七年 千葉南署発足、県庁舎完成、市立高二期工事完成、千葉港の燈標に火が入る。松ケ丘中開校。

 ▽三十八年 老人バス購入、市庁舎、スポーツセンター着工、国鉄千葉駅、京葉臨海鉄道、出洲海岸の埋立(調印)、勤労青少年ホーム、千葉郵便局。

 ▽三十九年 電話局の今井、轟分局、初めて二けたの局番実現、ユースホステル、鉄工団地起工、県武徳殿、犢橋し尿処理場、社会センター(開館は四十年)。

 ▽四十年 千葉相互銀行本店、県警本部、中央公園、歩道橋の第一号、東千葉駅、市立養護学校、千葉神社脇のマンモス交番、都賀信号所駅に昇格、市内の七農協合併、県立千葉工業高校、塚本大千葉ビルディング第一期工事。

 ▽四十一年 京葉有料道路の習志野市谷津――幕張間、国立技能センター、出洲埋立完成、海洋公民館こじま。

 ▽四十二年 電話ダイヤル式になる。検見川海岸の埋立妥結、給食センター、猪鼻山の郷土館。

 ▽四十三年 都賀駅開業、大宮学園、市立病院スタート(葛城病院を改称)、県立中央図書館、千葉興銀駅前支店、北谷津清掃工場、稲毛――幕張間のバイパス、京葉有料道路幕張――殿台間、中央下水道の一期工事。塚本大千葉ビルディング全館。

 ▽四十四年 交通公園、泉自然公園、卸売商業団地。

 ▽四十五年 弁天地下道、国鉄千葉駅前の歩道橋、ニューパークホテル。

 ▽四十六年 県教育会館、グランドホテル。

 ▽四十七年 扇屋全館、奈良屋(現セントラルプラザ)全館、塚本第二ビルディング(ニューナラヤオープン)、石渡ビル、千葉興業銀行本店。

 ▽四十八年 千葉銀行本店、千葉ガーデンタウン一部完成。千葉市民会館、千葉市中央コミュニティセンター(着工)。

 以上、市内の主要高層ビルの完成をみるとわかるように、三十四、五年以降に出来たことがよくわかる。特にマンションなどは四十六年以後の出現である。

 ビルや施設の新築・新設でもれているものが多数あるが、スペースの関係上、省略する。

 このほか公営住宅として市営住宅(建設状況などは後述)や公団住宅、県営住宅、住宅供給公社、都市公社の耐火住宅など相次いで高層住宅が建設されている。川崎製鉄千葉製鉄所の社宅が仁戸名や赤井方面に多く建設されているが、同社は園生に一一階という民間としては最高の高層社宅を建設している。

 高層化の波は更に進展し、市役所近くに三井不動産や三菱地所などの共同建設によるマンション「ガーデンタウン」は最高一四階という千葉市内最高の高層住宅で、四十八年三月現在一棟完成している。全部完成するとA棟からF棟までの六棟、一、四二五戸となる。

 一般のビルも当初はほとんど五階ていどであったが、県庁の九階、市役所の八階についで千葉銀行の本店は地下二階、地上一二階という高層建物が千葉市役所近くに建てられた。また千葉港に臨む「貿易会館」は一七階ということで県で計画をたてたが、中途で延期されたままになっている。

 都心では四三階の霞ケ関ビルをはじめ、五〇階以上の高層建築が相次いで実現していることを考えれば当然かも知れないが、千葉市も高層化時代に入ったといえる。