第二項 市役所新築の経緯

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 「この日は絶好の祝賀日和―つめかけた方々は、会う人ごとに喜びのあいさつを交わす。一般参観者は二万余人。市民にほほえみかけている新庁舎。そして仰ぐ市民の目には希望の輝きがみられた。(以下略)」

 「紅白のテープにはさみを入れ―感激で小きざみにふるえる宮内市長、木村市会議長の手がかけられ、ぐっと力をこめてテープが切られた瞬間、新聞報道陣のフラッシュ、テレビや市広報映画撮影のライトが輝き、来賓の間から拍手がわきあがりました。(中略)宮内市長は感概のおももちで〝二七万市民のサービスセンターが完成しました。躍進する千葉市を表徴する、その魂のこもった芯(しん)を本体とし、建築の華麗より市民全体の公共物として、親しみを寄せあって気軽に出入りをしていただける公用の応接間としたいのです〟と力強く式辞を朗読(以下略)」。

 これは昭和三十八年(一九六三)三月号の市政だよりに掲載された新庁舎(その後、県の開発局庁舎となる。)完成記念特集号の書き出しの一部と宮内三朗市長のあいさつの一端である。

 この文章をみる限り、新庁舎の完成を市役所当局はもとより、市民がいかに喜び、待望していたかがわかると思う。

 それというのも、木造の旧庁舎が新庁舎と同じ場所に移築されたのが昭和十五年(一九四〇)の十二月であるので、二三年ぶりに初めて鉄筋コンクリートの堂々たる庁舎が完成したのであるから、感激はひとしおであったものと思う。

 木造の古びた旧庁舎は、改築する前はガタカタになり、痛みもひどかった。冬などはすき間風が入り、市民から早く改築をと望まれていたことも事実であった。

 しかし、旧庁舎といえども移築した当時の昭和十五年当時は堂々たる庁舎であった。(桃山式の純和風二階建てで明治四十三年(一九一〇)に東京上野で開かれた勧業博覧会の本館、迎賓館として使用され、その後、勧業銀行、谷津遊園、千葉市役所となったもの。)市内でもひときわ目だつ建物とされた。

 移築のころ市の人口は四万一千人であり、その一〇年後の昭和十年の人口は五万九千人ていどあり、わずかに一万八千人しか増加をみなかったので、庁舎拡張の必要もなかったわけである。ところが三十八年の人口は二七万二千二百人を数え、増加率は実に七倍弱というふくれ方をしている。

 これによって、職員はどんどんふえるし、市役所を訪れる市民も急増の一途であった。もうどうにもならないほどパンク寸前の手狭さでありおまけに、ひどい老朽化が不評をこうむるに至った。

 新築の理由は、いま一つあった。昭和三十八年代になると、近代都市に脱皮した千葉市役所の庁舎としてふさわしくなかったし、すぐ前の県庁舎が昭和三十五年から新築工事に着手、完成すれば、九階建ての立派な建物になることが刺激となったことも事実である。

 新庁舎の設計を誰に依頼するかで、いろいろ論議されたようであるが、県庁舎を設計した東京大学教授の星野昌一工学博士に依頼することが最適との結論に達し、三十六年四月六日に同教授に依頼した。そのためであろうが、外観は県庁舎と同類型のものになったようである。

 工事までの経緯をみると、

 設計依頼 三十六年四月六日

 地鎮祭  同年十一月二十一日

 上棟式  三十七年五月八日

 定礎式  同年十一月二十二日

 完成   三十八年二月十六日

 ところで、新庁舎を新築するに当たって、一つだけ問題があった。当時の旧庁舎だけの敷地面積に、そのまま新築するのでは、少し狭ますぎることであった。市では市長を中心に関係者が集まって、何度となく対策が話し合われた。

 そのためには隣接地を買収することであった。ちょうど昭和三十一年末いらい会社を解散して空屋となっていた千葉新聞社の敷地と建物(もと千葉市役所で使用していた建物及びもと千葉税務署庁舎跡に増築した同社の建物を合わせて)を買収することを計画、折衝の結果、この買収交渉がスムーズに進んだことと、一般の民有地も合わせて買収し、名実ともに堂々たる庁舎を建築することができた。

 おそらく、この隣接地の千葉新聞社の用地を買収できなかったならば、手狭で、不細工な建物しかできなかったのではなかろうか。千葉新聞は、昭和三十一年末の労働争議で会社を解散し、休刊中であったし、社屋も使用されないまま、空屋になっていた。ただ一部二階だけが新聞会館になっていたので、営業を続けていたとはいうものの、先細りの状態にあった。

 新庁舎は地下一階、地上六階、一部塔屋三階で、落成式は三十八年二月十六日、各界の代表二千五百人を招待して盛大に行われた。二千五百人を収容する適当な祝賀会場がなかったので、新市庁舎前庭に仮設のテントを張って実施することになった。新庁舎で落成式を行えばよかったわけであるが、当日、新庁舎は一般市民の見学に解放したので、式典を行うわけにはいかなかった。一般市民の見学は、なんと二万人も押しかけ、市当局の係員をビックリさせたほどであった。まさに、空前のことであり、市民がいかに新庁舎に関心を持っていたかを知るバロメーターとされた。

旧市役所庁舎

 新庁舎落成を喜んだのは、市役所当局と市民であるが、当日の落成式場には、市内の小中学生三千人による鼓笛隊、ブラスバンドの記念演奏と市内行進が行われた。生徒たちが緑のベレー帽と上着、白のズボンの揃いのユニホームを着用しての演奏会と市中行進は圧巻であった。市内の行進道路は見物客であふれ、その数三万余と翌日の新聞に報道されたほどである。

市役所落成祝賀鼓笛隊の合同演奏会

 そのほか庁舎竣工を記念して市内の全家庭六万五千世帯に国旗「日の丸」の旗を無料で配布したほか、全小中学生に記念の下敷きが同様に配布された。このようなことは、市始まって以来初めてのことである。これは市民にも庁舎完成をともに喜んでもらおうという市の好意からであった。

 また、落成式当日、花火を四〇発打ち上げたほか、アドバルーン五〇個が市内の大空をおよぎ、地上では商店街の記念大売り出しやノミ市、芸能ショーなども開かれ、市内は、まさに新庁舎落成一色に塗りつぶされた感があった。

 ところで、新庁舎の建物の面積、特色などはつぎのとおりである。

  一 建物関係

 建築面積 二、三四一・一四平方メートル(約七〇八坪)

 延べ建築面積 一万四二六五・七〇平方メートル(約四、三一五坪)

 間口    八六メートル

 奥行き   二七メートル

 高さ(軒高) 二三・九八〇メートル

 最高の高さ 三四・二〇〇メートル

  一 特色

  ①玄関のロビーを広くとったこと②市民の待合室として市民ホールをつくり、テレビ、新聞などをおいて、市民が市役所を訪れたときや事務上で待たされる場合、ゆっくり休めるように考慮が払われた③エレベーター三基はともかくとして、玄関正面に二階まで行けるエスカレーターを新設した。エスカレーターの新設は市役所では、県下で初めてであった。二階までということは、一、二階は市民に関係深い課がおかれたためである④冷暖房設備を完備したこと⑤庁内の廊下にベンチを配して、市民が待っている間、腰かけられるようにした⑥屋上に喫茶室をおいた。

 ひと昔前の市役所では、考えられないほど、住民サービスを心がけた庁舎となった。庁舎内に喫茶室をおいたことなどが、それを物語っている。

 新築当時の各階配置の概要はつぎのとおりである。

  〔地下〕電気室、機械室、食堂、売店、診療所など。

  〔一階〕戸籍課、出納、収入役室、市民ホール、市民税課など。

  〔二階〕収税課、国民健康保険課、衛生課、清掃課、商工水産課、厚生課、統計課、福祉事務所など。

  〔三階〕市長室、助役室、会議室、財政課、管財課、開発課、人事課、総務課、応接室、総務・財務・経済・衛生各部長室、監査委員会室、同事務室、放送室など。

  〔四階〕都市計画課、区画整理課、事業課、下水道課、土木課、建設部長室、記者室など。

  〔五階〕議員控室、正副議長室、議場、委員会室、資料図書室、議会事務局など。

  〔六階〕正庁(大ホール)、選挙管理委員会室、教育長室、教育委員会、農業委員会各室、市議会傍聴室

  〔塔屋〕 一階 図書室、機械室。

       二階 電話中継室、機械室。

       三階 展望室、喫茶室。