戦後四半世紀を過ぎた現在、教育体系そのものの改革が各方面から叫ばれている。一般に戦後の教育史は二期に大別され、第一期は終戦から、昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約発効に至る、連合国による占領下の時期である。この時期に戦後の諸教育改革が実施されて、六・三制教育の基礎が確立されたのである。第二期は独立達成から今日に至る時期であるが、第二期は更に二分され、その後期は昭和三十年代中ごろに始まる経済上の高度成長政策以後に相当するが、経済の高度成長の結果、人口の都市集中にみられる過密とその一方で、過疎があらわれるなど、社会構造の変革が生じ、したがって、その変化に応じた教育が要求されているのである。また、戦後のベビーブームの波は、昭和四十一年大学に押寄せ、生徒、学生数の急増は、単に量的な増加にとどまらず、質的な変化をもたらし、昭和四十三~四年の高校、大学の紛争は教育改革が一刻もゆるがせにできない問題であると、強く国民に印象付けたのであった。
日本の社会構造変化の典型ともいえる千葉市は、昭和四十年度を初年度とする『十カ年計画』を策定、千葉市の総合開発計画を発表したが、この計画の中で、教育文化の章を設け、学校教育、社会教育全般にわたって教育内容の充実と教育環境の整備をうながし、市政の三本柱といわれる「人を造ること」を具体化していった。ついで、昭和四十六年、『千葉市中期三カ年計画』を発表して、人間尊重、市民生活優先の立場から、学校施設の整備と教育内容のいっそうの向上を図っている(六―九三表)。また、戦前あるいは戦後まもなく建設された校舎の改築及び、児童、生徒の体力向上、学校行事、クラブ活動の施設としての屋内体育館や、プールの建設に努力して、市内のすべての義務教育諸学校に屋内体育館とプールを設置することとした(この構想は稲毛にあった市有地を売却、その費用で小・中学校に体育館、プールを建設したのに始まる)。
年度 | 学校別 | 教室不足 | 校舎買収 | 危険老朽 | 新設数 | 計 | |||||
校数 | 室数 | 校数 | 室数 | 校数 | 室数 | 校数 | 室数 | 校数 | 室数 | ||
46年 | 小学校 | 14 | 115 | 3 | 42 | 6 | 59 | 9 | 199 | 32 | 415 |
中学校 | 5 | 34 | 1 | 12 | 5 | 38 | 3 | 55 | 14 | 139 | |
計 | 19 | 149 | 4 | 54 | 11 | 97 | 12 | 254 | 46 | 554 | |
47年 | 小学校 | 17 | 115 | 2 | 24 | 4 | 36 | 9 | 214 | 32 | 389 |
中学校 | 6 | 33 | 1 | 12 | 3 | 22 | 3 | 58 | 13 | 125 | |
計 | 23 | 148 | 3 | 36 | 7 | 58 | 12 | 272 | 45 | 514 | |
48年 | 小学校 | 12 | 69 | 3 | 52 | 9 | 73 | 6 | 149 | 30 | 343 |
中学校 | 4 | 22 | 1 | 3 | 5 | 35 | 2 | 33 | 12 | 93 | |
計 | 16 | 91 | 4 | 55 | 14 | 108 | 8 | 182 | 42 | 436 | |
三カ年合計 | 小学校 | 43 | 299 | 8 | 118 | 19 | 168 | 24 | 562 | 94 | 1,147 |
中学校 | 15 | 89 | 3 | 27 | 13 | 95 | 8 | 146 | 39 | 357 | |
計 | 58 | 388 | 11 | 145 | 32 | 263 | 32 | 708 | 133 | 1,504 |
(学校施設課)
しかし、千葉市の発展は当初の想定を上回る勢となって、市は昭和四十五年を基準年次とする『千葉市長期総合計画』を策定して、教育文化水準の向上を図っている(本書第六章第十二節「千葉市の将来」参照)。
昭和二十三年全国にさきがけて、千葉市は地方教育委員会である千葉市教育委員会を設置した。その後組織、機構の改革が実施されて、現在は六―六〇図のとおりである。
昭和四十六年度における教育関係経費は、六―九四表のとおりとなっている。市教育委員会設置以来、教育費の一般会計に占める割合は、常に二〇パーセント内外で、市当局の教育に関する努力はなみなみならぬものがあった。戦後の一時期地元負担金の名称で、学区内保護者などに強制的に寄付金を割当て、地元である程度経費を負担するゆえ、早急に建築にとりかかるよう市当局に陳情するのが一般的であった。「昭和四十二年の予算編成にあたり、公費で負担すべきものでPTAから支出されているものを全額提出するよう学校長に提出を求めて、総額四千二百万円を増額計上した。しかるに市会においてなお公費で支出すべきものがPTAの経費から支出されているとの声をきいて、再度校長から調書をとつたところ、なお一千九百万円ある、とのことで四十三年度に全額増加して予算を編成し、父兄負担の解消につとめた」(『千葉市政ひと筋に―宮内三朗氏の歩み』)。このような努力の結果、次第に父兄負担額は減少し、昭和四十七年度現在において小・中学校需要費の額は全国一位といわれている。
教育費総額 | 市民1人当たり教育費 | 教育費の一般会計に対する比率 |
5,775,831千円 | 10,966円 | 20% |
(昭和48年度『千葉市教育要覧』)
区分 | 公費 | 私費 | ||||||||
国支出金 | 県支出金 | 市支出金 | 地方債等 | 計 | 児童・生徒1人あたり | 学級あたり | PTA寄附金 | その他の寄附金 | 学校徴収金 | |
円 | ||||||||||
幼稚園 | 6,723 | 6,723 | 55,562 | 1,681 | 151 | 5,970 | 1,102 | |||
小学校 | 179,886 | 2,117,016 | 2,837,079 | 775,900 | 5,909,881 | 131,768 | 4,963 | 14,809 | 2,068 | 617,052 |
中学校 | 107,344 | 999,902 | 1,077,061 | 364,100 | 2,548,407 | 159,725 | 6,501 | 10,270 | 303,008 | |
養護学校 | 1,741 | 44,957 | 15,033 | 61,731 | 685,900 | 4,749 | 96 | 455 | ||
高等学校 | 193,059 | 193,059 | 138,891 | 6,435 | 4,676 | 11,355 | ||||
計 | 288,971 | 3,161,875 | 4,128,955 | 1,140,000 | 8,719,801 | 30,002 | 8,038 | 932,972 |
(昭和46年度『千葉市教育要覧』)