昭和四十六年度における千葉市内小学校、中学校一覧は六―九六表のとおりである。本市の小学校数は国立一校、市立五八校、児童数四万六千名になるが、大正期に創設された小学校は一校もなく、すべて明治期あるいは昭和に入って設立されたものである。明治期創立が二三校、昭和に入って創設された小学校三六校である。このうち昭和期創設の小学校の中で、昭和三年、本町小学校から分離・独立した院内小学校を除く三五校はすべて昭和二十六年以降のいわゆる戦後設立された小学校である。
学校名 | 所在地 | 創立年月日 | 職員数 | 生徒数 |
人 | 人 | |||
犢橋小学校 | 犢橋町774 | 明.6.1.1 | 23 | 504 |
本町小学校 | 本町2―6―23 | 明.6.2.8 | 41 | 866 |
生浜小学校 | 浜野町1335 | 明.6.2.11 | 45 | 1,372 |
登戸小学校 | 登戸町3―436 | 明.6.2 | 32 | 673 |
検見川小学校 | 検見川町3―1834 | 明.6.3.1 | 33 | 847 |
稲毛小学校 | 稲毛町5―535 | 明.6.3.1 | 29 | 663 |
幕張小学校 | 幕張町4―781 | 明.6.3.1 | 41 | 1,077 |
畑小学校 | 畑町1385―1 | 明.6.3.2 | 12 | 214 |
寒川小学校 | 寒川1―205 | 明.6.3 | 48 | 1,229 |
蘇我小学校 | 今井3―15―32 | 明.6.5.10 | 39 | 1,014 |
椎名小学校 | 茂呂町582 | 明.6.5 | 15 | 264 |
都小学校 | 都町1129 | 明.6.8.15 | 44 | 1,227 |
更科小学校 | 更科町2073 | 明.6.10.16 | 20 | 238 |
園生小学校 | 小中台町877 | 明.7.3. | 43 | 1,194 |
誉田小学校 | 誉田町1―27 | 明.7.5. | 42 | 1,191 |
都賀小学校 | 作草部町938 | 明.7.10. | 40 | 1,058 |
土気小学校 | 土気町1634―2 | 明.9.10. | 30 | 797 |
千城小学校 | 大宮町2655 | 明.10. | 14 | 234 |
長作小学校 | 長作町1273 | 明.15.3.1 | 24 | 561 |
新宿小学校 | 新宿2―15―1 | 明.20.5. | 48 | 1,007 |
若松小学校 | 若松町360―1 | 明.41.4. | 20 | 474 |
白井小学校 | 野呂町215 | 明.42.4.21 | 30 | 537 |
院内小学校 | 祐光1―25―3 | 昭.3.4.1 | 57 | 1,432 |
大森小学校 | 大森町268 | 昭.26.4.1 | 59 | 1,676 |
坂月小学校 | 坂月町298 | 昭.26.4.1 | 12 | 182 |
稲丘小学校 | 稲丘町19―30 | 昭.26.4.1 | 29 | 679 |
弥生小学校 | 弥生町3―18 | 昭.28.4.1 | 28 | 579 |
花園小学校 | 花園4―1―2 | 昭.28.4.1 | 45 | 1,302 |
横戸小学校 | 横戸町1005 | 昭.29.4.1 | 12 | 182 |
轟町小学校 | 轟町3―4―30 | 昭.31.9.16 | 41 | 1,013 |
鶴沢小学校 | 鶴沢町15 | 昭.33.4.1 | 41 | 1,053 |
平山小学校 | 辺田町141 | 昭.33.4.1 | 13 | 255 |
松ケ丘小学校 | 松ケ丘町580 | 昭.34.4.1 | 55 | 1,540 |
宮崎小学校 | 宮崎2―3―13 | 昭.39.4.1 | 30 | 744 |
緑町小学校 | 緑町2―13―1 | 昭.39.4.1 | 42 | 1,122 |
川戸小学校 | 川戸町450 | 昭.39.4.1 | 32 | 743 |
山王小学校 | 山王町121 | 昭.39.4.1 | 28 | 652 |
小中台小学校 | 小中台町824 | 昭.40.4.1 | 47 | 1,189 |
大宮小学校 | 大宮台7―8―1 | 昭.40.4.1 | 42 | 1,210 |
小倉小学校 | 小倉台5―1―1 | 昭.41.4.1 | 40 | 1,077 |
千草台小学校 | 天台町11 | 昭.41.5.1 | 44 | 1,289 |
稲毛第二小学校 | 稲毛海岸5―7―1 | 昭.41.9.1 | 42 | 1,121 |
あやめ台小学校 | 園生町446―1 | 昭.41.10.1 | 45 | 1,248 |
星久喜小学校 | 星久喜町1060 | 昭.42.4.1 | 44 | 1,067 |
幕張東小学校 | 幕張町4―681 | 昭.43.4.1 | 28 | 735 |
花見川第一小学校 | 花見川4-1 | 昭.43.4.1 | 48 | 1,412 |
花見川第二小学校 | 花見川6―1 | 昭.43.4.1 | 39 | 1,059 |
幸町第一小学校 | 幸町2―17―4 | 昭.44.5.1 | 24 | 555 |
幸町第二小学校 | 幸町2―9―4 | 昭.44.5.1 | 28 | 651 |
弁天小学校 | 弁天町240 | 昭.45.4.1 | 20 | 403 |
桜木小学校 | 桜木町220 | 昭.45.4.1 | 21 | 477 |
千城台北小学校 | 千城台北1―4―1 | 昭.45.4.1 | 25 | 601 |
千城台西小学校 | 千城台西2―21―1 | 昭.45.4.1 | 22 | 528 |
宮野木小学校 | 宮野木町1798―2 | 昭.46.4.1 | 13 | 241 |
生浜西小学校 | 塩田町316―1 | 昭.47.4.1 | ||
仁戸名小学校 | 仁戸名町380 | 昭.47.4.1 | ||
こてはし台小学校 | こてはし台2―28―1 | 昭.47.4.1 | ||
花見川第三小学校 | 花見川1―1 | 昭.47.4.1 |
学校名 | 所在地 | 創立年月日 | 職員数 | 生徒数 |
人 | 人 | |||
加曽利中学校 | 加曽利町961 | 昭.22.5.10 | 36 | 832 |
末広 〃 | 末広2―10―1 | 昭.22.5.10 | 27 | 507 |
葛城 〃 | 葛城町2―9―1 | 昭.22.5.10 | 48 | 1,112 |
緑町 〃 | 緑町2―3―1 | 昭.22.5.10 | 42 | 970 |
小中台〃 | 小中台町877 | 昭.22.5.10 | 31 | 808 |
花園 〃 | 花園4―1―1 | 昭.22.5.10 | 37 | 887 |
生浜 〃 | 生実町1928―2 | 昭.22.5.10 | 22 | 569 |
誉田 〃 | 誉田町1―138 | 昭.22.5.10 | 20 | 446 |
白井 〃 | 野呂町623 | 昭.22.5.10 | 16 | 280 |
更科 〃 | 更科町2112 | 昭.22.5.10 | 13 | 177 |
土気 〃 | 土気町1400 | 昭.22.5.10 | 19 | 373 |
椿森 〃 | 椿森4―1―1 | 昭.23.4.1 | 55 | 1,317 |
犢橋 〃 | 三角町656―2 | 昭.23.4.1 | 18 | 329 |
新宿 〃 | 問屋町1―73 | 昭.27.4.1 | 34 | 660 |
蘇我 〃 | 白旗1―5―3 | 昭.27.4.1 | 47 | 1,070 |
轟町 〃 | 轟町3―5―14 | 昭.36.4.1 | 36 | 738 |
松ケ丘〃 | 松ケ丘町440 | 昭.37.1.1 | 37 | 844 |
幕張 〃 | 幕張町4―45 | 昭.39.4.1 | 37 | 877 |
川戸 〃 | 川戸町443 | 昭.41.4.1 | 27 | 647 |
稲毛 〃 | 稲毛町5―120 | 昭.41.4.1 | 36 | 790 |
千草台〃 | 千草台2―3―1 | 昭.41.1.1 | 24 | 565 |
花見川第一〃 | 花見川6―2 | 昭.43.9.1 | 23 | 467 |
幸町第一〃 | 幸町2―12―7 | 昭.44.5.1 | 12 | 188 |
千城台西〃 | 千城台西2―20―1 | 昭.45.4.1 | 20 | 437 |
星久喜〃 | 星久喜町823 | 昭.46.4.1 | 14 | 125 |
こてはし台〃 | こてはし台5―15―1 | 昭.47.4.1 | ||
千葉大学教育学部附属〃 | 弥生町1―33 | 昭.22.5.15 | 53 | 292 |
千葉明徳〃 | 南生実町1412 | 昭.22.4.1 | (11) | 3 |
(昭和46年『千葉市教育要覧』)
明治期に創設された小学校の沿革は複雑を極めているものがある。現在の新宿小学校、本町小学校、登戸小学校、寒川小学校は大正十年から、昭和三年までは千葉尋常高等小学校と呼ばれた一つの小学校であった。その変遷は六―六二図のとおりで、いくたびとなく、組織、名称を改訂して、現在に至っている。白井小学校(六―六三図)、生浜小学校(六―九七表)も複雑に統廃合がなされた学校である。現在の坂月小学校は昭和二十六年に創立された学校で、明治六年創立の村立坂月小学校と直接つながる系譜がなく、名称が同じという学校もある。また、明治期における校舎の歴史が、受難の歴史そのものといえるのが長作小学校である。明治十八年三月には長作字地蔵作に校舎を新築するが、四月の火災によって全焼し、同年七月に再び校舎の建築に着手するが、暴風雨のため全潰してしまった。長胤寺本堂での授業では効果が上がらず、明治二十六年十月ようやく竣工して、開校式を挙行しているが、明治三十年九月九日の暴風雨によって、またまた校舎は全潰してしまった。そして、明治三十二年八月第四次校舎新築がようやく完成した。しかし、この校舎も明治四十四年には児童数の増加によって、八一坪の増築をしなければならなかった。
年代 | 事項 |
明治 6年2月 | 北生実の重俊院に格物小学校設置 |
〃 6年8月 | 浜野の建応坊に研恩小学校設置 |
〃 7年11月 | 塩田の民家に塩田小学校設置 |
〃 8年7月 | 研恩小学校を浜野小学校と改称 |
〃12年6月 | 格物小学校を生実小学校と改称 |
〃13年7月 | 北生実の妙印寺を生実小学校校舎とする |
〃15年10月 | 浜野小学校の分校として村田分校設置 |
〃20年3月 | 塩田小学校,浜野小学校村田分校を浜野小学校に合併 |
〃42年4月 | 浜野小学校と生実小学校合併して生浜尋常小学校となる。教室は7ヵ所(生実に3ヵ所,浜野に4カ所の仮教室に分散) |
大正 7年2月 | 現在地に校舎建設して統合 |
(以下略) |
さきに述べたように、市内小学校の六〇パーセント以上は戦後の昭和二十六年以後の創立である。千葉市は戦災によって、五小学校を焼失し、その復興に努めるとともに、次第に増加する児童、生徒を収容するため、小学校を増設していった。昭和三十年代は、三十九年を除くと、轟町小学校、鶴沢小学校、平山小学校、松ケ丘小学校のわずか四校の設置であったが、三十九年以後の一〇年間に三六校(昭和四十八年度は一二校設置の計画)が設立された。これら小学校の大部分は住宅地、特に公団、公営、民間の団地の造成にともなう児童、生徒数の増加によって、建設されたものである。千葉市においても、ドーナツ化現象と呼ばれる市街地の中心部では学童数が減少し周辺の住宅地で学童数が急増する傾向がみえている。学校設置の最大の問題点の一つはその用地の確保にある。千葉市当局者は昭和四十年策定の『千葉市総合開発計画』以来、公共用地の先行取得に努力しているが、近年の土地価格の値上りは学校用地の確保を困難なものにしている。
千葉市は教育においても、県都としての役割りが与えられ、各種の教育研究の場を提供している。これは施設、研究会場として、千葉市が選ばれるだけではなく、教育内容を県下に提供するゆえ、新しい教育情報をいち早く取り入れ、地域の実情に適合する実践、研究がなされることとなった。
部門別に分類すると、千葉市では、算数教育、保健体育教育、科学教育、特殊教育、視聴覚教育、安全教育、音楽教育、作文教育、郷土教育等に著しい特色がみられる。これらのうち、ここでは算数教育、安全教育について簡単にふれておきたい。戦後、千葉市において最初に文部省の算数科実験学校に指定されたのは検見川小学校であった。ついで昭和三十六年都賀小学校が文部省の算数研究校に指定され「新指導要領実施上の問題点」の解明に当たった。研究は四年間の長期にわたるものであって、根気を必要とする研究であった。
実験学校を通してすべての先生方の協力をえておこなったしごとのひとつに実践記録がある。これは各学年ともひとつひとつの教材について指導中や指導後の小テストのまとめのテストの正答率を問題毎に詳細に記録し、その結果について考察するとともに、問題点を解明していくという骨のおれるしごとであった。
(『都賀小学校九十五周年記念誌』)
検見川小学校、都賀小学校の研究を軸にして、「発見学習」と呼ばれる学習方法が算数教育に取り入れられていった。現在においても、当時の関係者がサークルを作って、研究のいっそうの発展を図っている。
千葉市において、交通安全の問題が学校教育に正式に取り上げられたのは一〇年程前である。現在では交通安全のほか、学習に直接関係した安全教育、すなわち、理科、技術、家庭科、保健体育科の実験、実技中の児童、生徒の身体上の安全も含めて、安全教育を考えている。近年は交通安全が前面に強く押しだされ、保護者の関心も非常に高まってきている。そこで市教育委員会は学童に対して、交通安全教育に関する副読本を、教師に対しては、その指導書を配布している。小学生の交通事故は学校への登下校時より、帰宅後に多いことから、PTA、地区青少年相談員、補導員、それに警察などと横の連絡を保ちながら指導にあたっている。特に、自転車の乗り方と車体の点検には講習会等を開催して、事故防止に努めている。
昭和四十六年度の本市の学校教育指導方針の第一に「調和的な教育課程の編成」をあげている。学校教育が単に学力の向上を目ざすのではなく、調和のとれた人間の形成に目標を置き、教師の個人的努力に期待するのではなく、学校(地域社会の中での学校の意味)全体が一つの組織体となって、調和のとれた教育課程を実践することを方針としたのである。近年、近代化、合理化の名のもとに行なわれた生産第一の諸政策が人間性を喪失し、時には公害問題をひきおこし、人間尊重がそこなわれる傾向がみられる。かかる時代的背景を市教育委員会は敏感にうけとめ「調和」の語に人間性の意味をこめたと思われる。もちろん、合理的精神の必要性を全く放棄したのではなく、なお、合理化を推進すべき余地は千葉市の教育に多く存在している。合理化は必要であるが、それにもまして「調和のとれた教育課程」を全市域の学校が編成して、児童本位の教育に徹しようと、関係者が努力しているのが昨今の千葉市の義務教育諸学校の現状といえよう。