県立京葉工業高等学校

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 本校は昭和三十四年十二月二十二日、千葉県教育委員会告示によって、機械科二学級、電子工業科二学級、化学工業科一学級、土木科一学級の募集を行い、翌年四月十二日第一回の入学式を挙行した。昭和三十五年当時は京葉工業地帯の埋立て、それに続く重化学工業の設立、生産開始によって、本県が農業県から工業県に転換する時期にあたっていたが、本県は工業高校がきわめて少なく、千葉、市川工業高等学校が存在するのみであった。そこで、今後需要が高まると思われる中堅技術者を県内で養成する必要に迫られ、ここに本校の設立が決定し、旧陸軍戦車学校跡の敷地約三万九千平方メートルを得て校舎の建設に着工している。

 前記の千葉、市川両工業高校はそれぞれ市立、私立から発足しているので、千葉県が自ら建設する工業高校は本校が最初のものであった。そのためか、県当局は建物、施設については特に意を用い全国でも五指に入ると説明している。学科については、応用化学科、工業化学科ではなく、化学工業科を設置して、試験管、ビーカを用いる実験装置からくる製造技術偏重ではなく、その設備に、化学的重点を置くもので、小は研究用反応装置から、大は巨大な製造反応装置に至る化学プラントの企画、設計、管理に及ぶ知識技能の修得に努めるなど新機軸をうちだしている。本校設置の電子工業科にしても、ようやく情報化時代の入口に達したこの時期に設立されており、公立工業高等学校としては全国的にみて早期に属するものであった。

 このような状況下で、校舎の新築工事も熱心に進められ、昭和三十七年八月三十一日最後の第五期工事が竣工した。こうした教育環境の整備の反面、学歴偏重の社会風潮のため、公立普通科高校への入学難を理由に、工業に関心も興味などもなく、本校に入学する者が見られるのは警戒すべきところである。本校卒業生は技術関係に従事するので何より在学中の基礎づくりのために熱意のある学習努力を要求されるからである。事実、本校卒業生の中からは、その能力、技術を買われて、海外で活躍している者も多い。

県立京葉工業高等学校