千葉市立高等学校

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 本校の設立について『建設十年』(千葉市立高等学校創立十周年記念誌)によると、昭和三十年代に入ると、千葉市内中学生の高等学校への進学率は、七〇パーセントを越え、推計で昭和三十四年には、「何れの公私立高等学校へも入学出来ない、いわゆる中学浪人が一千余名も出現するのではないかと、関係者を深く憂慮させております。(『千葉市立普通高校設立陳情書』前掲書所掲)とあるように、千葉市内の中学浪人解消のため、市内中学校関係者が急きよ本校の設立を要望したものと思われる。昭和三十三年十月十八日、千葉市立普通高等学校設立促進協議会を結成、学校の性格としては、善良な千葉市民の育成を目標に、女子教育に重点を置くこと、市独自の奨学金制度の採用、高校卒業後必ず就職斡旋をすることなどを市教育長あてに要望している。昭和三十四年二月、千葉市議会は千葉市立高等学校の設置を可決、同年四月一日開校した。第一回の入学試験は一般県立高等学校の学力検査より遅れて実施、志願者三三四名中、三二四の入学を許可したのである(実際の入学者は二九八名)。なお、本校の受験資格は千葉市内居住者の子弟と限定されている。

 学校の設置があまりにも急であったため、校舎はとりあえず、小中台中学校(旧陸軍防空学校)の一部を借用し、教職員合計二三名で授業を開始した。同校は校地拡張、整備、校舎の建設に努力するとともに、自我の確立、今後いっそう複雑化するであろう社会に適応でき得る能力の開発、及び、知育偏重にとらわれない豊かな人間の形成を目標に、指導にあたっては一人一人の生徒の実情にあった個別指導を強調した。中学生急増を理由に設置された本校であるが、昭和三十五年は定員に満たず、再募集を行っても実際には二六四名(定員三百名)の入学であった。その後次第に志願者は増加し、昭和三十七年から中学生の急増もあって、定員は昭和三十八年に五百名、戦後のベビーブームが頂点となった昭和三十九年度には受験者は九百名を越えるほどであった。

 昭和四十年度にはベビーブームの波も高校段階では峠を過ぎ、本校の設立趣旨は全うされて、千葉市立高等学校は、新しい段階に入っていった。創立当初以来、女子生徒の占める割合が高かったが、昭和四十年代半ばには、ほぼ男女同数となり、進学希望者も逐次増加している。昭和四十五年、本校に理数科が設置されて、事実上、理科系大学進学希望者のコースとなっている。こうして、本校は創立一〇年を経て、新しい学校づくりの時期にあるといえよう。

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