学校法人 日本ナザレンカレッジ

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 日本キリスト教短期大学

本学は昭和二十一年、中田羽後を代表者に、旧陸軍下志津飛行学校跡を利用して創立したミッションスクールに始まる。中田羽後は当時東京チャペルセンターに勤務米軍関係者との接触も深く、GHQのチャプレン・パーカー大尉、千葉軍政部グッディ少佐、それに小野千葉県知事の援助によって本学を開設した。旧陸軍下志津飛行学校の跡地については、米軍自体に払い下げの権利はなかったが、米軍管理下にあったため、特にその利用を認めたと思われる。中田羽後はこの地にキリスト教村の建設を企画し、あわせて、「神を愛し、人を愛し、土を愛する。」三愛主義を教育方針とする学校建設に着手したのである。

 昭和二十一年十一月二十六日、神学部及び中学部(旧制)設置の認可を受け、神学部は即日その業務を開始し、キリスト教伝導者の養成に入った。

 昭和二十四年、財団法人聖書農学園(中等部、高等部)と改称した。昭和二十六年一月十日、聖書農学園短期大学(神学科、英文科)の認可を受け、同年四月、短期大学として正式に発足したのである。

 昭和三十三年、校名を日本キリスト教短期大学と改め、同三十九年、聖書農学園より分離独立し、学校法人日本ナザレンカレッジとなって今日に至っている。神学部は将来牧師となる希望者を対象に二カ年間の教育を施すものである(本学卒業後更に日本ナザレン神学校三年の課程を経て牧師に採用となる。)。

 本学の特色はキリスト教的奉仕精神(福音主義)に立脚しているのは無論のことであるが、常時七~八名のアメリカ人教師が実際的英語の指導にあたり、かつ少数精鋭(神学部一五名、英文科三〇名が定員)に徹しているところにある。学内は禁酒、禁煙の励行などの厳しさがあるが、暖かい友愛精神が学内に満ちて、マンモス学園にはみられない雰囲気をかもし出している。なお聖書農学園は昭和四十七年十一月、八千代市に移転した。