昭和四十四年印旛郡四街道町に移転したが、県立千葉盲学校は長く千葉市に置かれて、盲人の普通教育、職業教育に尽くしていた。その創立は明治四十一年、千葉町在住の鍼按(かんあん)業者が互いに業務内容の向上と後継者の育成を目的に鍼按講習所を開設したのに始まる。その後、明治四十五年千葉県教育会が経営を引継ぎ、千葉訓盲院と改称、学校組織に改組し、本格的な盲人の教育機関となった。大正十二年八月「盲学校及聾唖学校令」によって、各府県に盲学校、聾学校の設置義務が課せられたのをうけ、大正十三年県立の千葉盲学校と改称した。
聾教育は明治、大正期には公教育から疎外されていたが昭和六年ようやく県立聾唖学校が千葉師範学校の校舎の一部を借りて、千葉市に誕生した。本校は口話法による教授を採用し、聾者に普通教育の道を開いていった。戦前はこの二校が特殊教育に当たるが、入学は限られたごく一部であった。全国的にみて、千葉県や千葉市の特殊教育は遅れた位置にあったといえよう。
昭和二十一年新学制の実施に伴って、教育の機会均等の方針が確立され、児童、生徒はその能力適性に応じた教育が保障されて、心身障害児のための特殊教育は義務教育化された。学校教育法によると、特殊教育を行う学校として、盲学校、聾学校、養護学校の三種があり、それぞれ幼稚園、小学校、中等学校、高等学校に準ずる(準ずるとはそれ以上でも以下でもなく全く同じの意味)教育を実施するほか、各小学校、中学校、高等学校に特殊学級を設置して、通常の学級では教育困難な生徒、児童の教育を行うことになっている。法的には一応昭和二十一年四月に特殊教育が確立されたが、その実施は一向に進まなかった。一切の経費が設置者である地方公共団体の負担となるため、戦後財政不足に悩む各市町村は特殊教育の重要さは自覚していたが、その施設の建設に手を伸ばすまでには至らなかったといえよう。関係者の陳情、世論の高まりもあって、国が特殊学級、養護学校に補助金を支出することに決定した昭和三十一年以降、特殊教育は次第に整備、充実していくのである。
現市域における、特殊学級一覧は六―一〇四表のとおりである。特殊学校及び学級への入学手続は本市教育委員会付属機関の一つである心身障害児生徒判別委員会が各調査資料を検討し、総合診断の末、入学を判定している。昭和二十九年、市立蘇我第二小学校(同三十年大森小学校と改称)は精神薄弱児対象の特殊学級を設置し、特殊教育、治療教育の実践と研究に入った。当時は本校は教室不足による二部授業を余儀なくされる状況にあったが、関係者の努力で着々と成果をあげ、本校の研究成果は各学校の特殊学級にとりいれられていった。
学校名 | 学級数 | 生徒数 |
新宿小学校 | 2 | 16 |
本町小学校 | 2 | 18 |
寒川小学校 | 2 | 17 |
院内小学校 | 5 | 44 |
蘇我小学校 | 1 | 7 |
都小学校 | 1 | 7 |
都賀小学校 | 1 | 4 |
検見川小学校 | 1 | 10 |
稲毛小学校 | 1 | 12 |
園生小学校 | 1 | 5 |
大森小学校 | 2 | 17 |
犢橋小学校 | 1 | 5 |
幕張小学校 | 2 | 17 |
椎名小学校 | 1 | 5 |
誉田小学校 | 1 | 9 |
轟小学校 | 1 | 7 |
松ケ丘小学校 | 1 | 7 |
星久喜小学校 | 2 | 14 |
土気小学校 | 1 | 10 |
合計 | 29 | 231 |
(昭和46年度『千葉市教育要覧』)