昭和三十九年四月一日、市立養護学校が設立された。本校は精神薄弱児を対象に、中学生徒六六名、職員一一名で発足した。最初は花園中学校の校舎の一部を借用していたが、昭和四十年、大宮町の現在の場所に第一期工事の校舎が完成して移転し、同年には小学部を設置した。昭和四十六年度の在学者は小学部八名、中学部九〇名であるが、本校の教育目標は、ひとりひとりの特性と能力に応じ、その自己実現を援助して社会的に自立できる人間の育成に置き、将来の職業生活に備えて、職業的技能の訓練も行っている。一般の普通教科のほか、中学二~三年生は工芸、造花、木工、手芸、製壜(びん)、縫工の各班に分かれて一週八時間の作業時間を設け、相当の効果をあげている。保護者の間に高等部を開設してほしいとの要望もあり、また、職員間においても、中学三年間の学習では社会に送り出せないと生徒のためにも修業年限の延長を望む声が聞かれる。