祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天日鷲命である。登渡神社の前身は『登渡神社略記』によれば、白蛇山真光院定胤寺と称し、正保元年(一六四四)、千葉家の子孫登戸権介平定胤が祖先の霊追善のため、千葉妙見寺の末寺として、建立したと伝えている。別殿に妙見尊を奉祀し、真光院が管理したといわれる。境内に立つ天和元年(一六八一)建立の石燈籠の銘に
妙見社石灯炉村中安全産子繁昌之修下総国登戸村名主浜田金兵衛小菅三右エ門総産子中神職粟飯原□□別当真光院
とあって、妙見社を真光院が管理しており、神仏混合の形がうかがわれる。明治維新に際し、真光院を廃して、登渡神社としている。明治年間には天日鷲命を合祀しているが、この神は、現在の登戸幼稚園付近の高台にあった通称「鷲の宮」を、登渡神社に移しているので、この神が登戸の氏神であったと思われる。
総欅造りの現社殿は嘉永三年(一八五〇)又は安政年間(一八五四~五九)の改築で、葛飾郡の大工紋次郎を棟梁に完成したものである。上部の十二支の彫刻は千葉神社の彫刻と同じ名工和四郎の作といわれ、昭和四十三年社殿の彫刻が市の文化財に指定されている。
社前にはさきの石塔のほか、元禄八年(一六九五)の庚甲塔、宝暦四年(一七五四)の石燈籠、宝暦九年(一七五九)の狛犬、天保六年(一八三五)の石鳥居などが奉納されている。ほかに、太鼓、山車、神輿、鉾などが宝物として伝えられている。大祭は九月五日である。