蘇我比咩神社

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 祭神は天照皇大神、蘇我比咩大神ほか二神を祀るといわれている。当社は延喜式内神社(延喜式では蘇賀比咩神社)で、古くは千葉郡一円の総鎮守社で、天正十九年(一五九一)徳川家康は当社に社領一〇石を寄進している。江戸時代、当社の別当寺は春光院であったが、今は廃寺となってしまった。文化九年(一八一二)の火災で、社殿、宝物などすべてを失い、かつての繁栄の姿をしのぶこともできない。明治五年(一八七二)郷社に列せられている。

 旧曾我野は古代蘇我氏に属する部民の居住地であったので、当社は彼らの氏神と思われる。なお、伝説によれば蘇我の地名については、日本武尊が東国征討の際、海神に身を投じた弟橘姫が当地の海岸で「我蘇れり」と述べたに基づくと伝えられている。