稲荷神社

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 祭神は久々能知命、豊宇気毘売命、草野知毘売命であるが、その創建年代は不詳である。当社の前身『駒ケ原神社再建寄進帳』によると、日本武尊東征に際し、この地に豊宇気大神を祀って、駒ケ原神社と称したと伝えている。また『千学集』に御達報(五田保)の稲荷大明神を千葉の守護神の一つに数えているので、当社は、千葉氏の来葉以前に創建されていたものと思われる。

 『千葉盛衰記』によると、千葉常重は当社を守護神と定め、五社稲荷と称して、一族の粟飯原氏を神官に命じて、祭礼にあたらせた。千葉氏没落後、次第に社殿は荒廃、衰微したので、延宝年間(一六七三~八〇)当時の領主深尾八太夫は当社の復興を図り、日蓮宗富士派末流上行院を別当寺として、境内に建立している。この上行院も衰え、享保十五年(一七三〇)には本尊、その他の財物を今井村福正寺に預けている。寛政年間には、京都の伏見稲荷大社より正一位五社稲荷社の神号が与えられている。天保年間(一八三〇~四三)に村民の寄進によって、社殿を再建している。これが現在の社殿である。

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