浅間神社

362 ~363 / 546ページ

 祭神は瓚々杵尊、木花咲耶姫命、猿田彦命である。大同三年(八〇八)五月三十日、富士浅間神社の御神霊を受けて、小中台の海宝四郎五郎宅の裏山に奉祀されていたのを現在の場所に移したと伝えられている。

 当社は千葉常胤以来、千葉家の尊崇を集め、たびたび、祈願、社殿の再建をしている。文治三年(一一八七)の社殿再建に際して、富士山の形に盛土し、参道も富士登山道にならって、三方に設け、社殿は東京湾を隔てて、富士山とむきあって建立された。天正十七年(一五八九)当時の地頭大野勘解由左衛門は社領三〇石を寄進し、また、寛文五年(一六六五)稲毛村地頭朝倉仁左衛門及び石川土佐守は入会地の松林五反を寄進している。

 当社は安産・子育ての神として、地元稲毛町、千葉市ばかりでなく、関東一円の尊崇を集めている。七月十五日の大祭には近隣の一、三、五、七歳の幼児はかならず参拝する習慣が続いている。一日の人出の記録としては、二〇万人が最高といわれている。大正末年には境内総面積六千四百坪をこえ、拝殿は間口六間、奥行二間といわれた。昭和三十九年九月原因不明の火災によって本殿が焼失(御神体は安全)するが、昭和四十一年、約六千名の寄付金によって、コンクリート造りの本殿が完成している。

浅間神社