祭神は奇稲田姫命、素盞嗚命、大已貴命で、旧名は素加天王神社である。古くは須賀本郷の総鎮守社といわれる。千葉常胤の四男大須賀四郎胤信が幕張屋形内に造営したと伝えられている。建久五年(一一九四)の造営後、永仁六年(一二九八)、享徳三年(一四五四)、に社殿の造営があって、永正五年(一五〇八)に縫坂(幕張屋形のあった場所)から現在の場所に移されている。
九月十五日が祭礼日であるが、七年ごとに三山大祭が執行される。当日は子守神社(幕張)、三代王神社(武石)、大原神社(実籾)、子安神社(畑)、二宮神社(御山)、時平神社(高津)、八王寺神社(睦豊富)の神輿が二宮神社に集合し、夕方から二宮、子安、子守、三代王の四社の神輿が幕張海岸において、安産、出生の祭典をあげている。伝えによると、文安二年(一四四五)馬加陸奥守平康胤の奥方の安産を幕張海岸にて祈願したところ、無事出産となったという。そこで、人々は、幕張海岸で安産、出産を祈るようになり、以後、子安大明神を安産の神として、崇拝することとなった。