本光山宗胤寺は曹洞宗永平寺派に属し、本尊は聖観音である。当寺は千葉宗胤により創建されたといわれている。宗胤は千葉家第十四代胤宗の弟で、常胤以来千葉家代々の所領であった肥前国小城郡晴気の地を相続し、大隅守に任ぜられて、九州千葉氏の祖となった人物である。中島喜代治著『稿本千葉市誌』によれば、「原系図に曰く、宗胤公肥前国晴気城主、子孫代々住レ之、下総国宗胤寺、三間山円通寺二箇寺建立」とあって、元冦に際し殉難した父頼胤ら一族の霊を弔うため建立したと思われる。晴気の円通寺の建立が弘安十年(一二八七)であるので、弘安十年か、その前後に当寺は創建されたものと思われる。はじめ真言宗であったが、室町中期の延徳二年(一四九〇)臼井村の宗徳寺志堅和尚を迎えて中興開山としている。現在は弁天四丁目にあるが、もとは吾妻町三丁目にあり、「御廟の松」と呼ばれる老松の傍に五輪塔があって、宗胤の墓と伝えられているが明らかではない。かつての堂宇は壮観を極め、佐倉藩主堀田相模守正愛が領内巡視に際し、方五間半、三層の栄螺(さざえ)堂といわれた観音堂に登って、千葉の町の様子を眺めたといわれる。この堂宇も明治十九年の火災によって類焼、市川国府台の総寧寺の建物を移築して、再建されたが、昭和二十年の戦災で焼失、戦後の都市計画のため、弁天町に移転して現在に至っている。なお、千葉宗胤五輪塔は昭和四十三年市指定の文化財となっている。